興味の変化

潜在意識への理解が徐々に深まるにつれ、ヒトへの興味が無くなっていく。人って何のために生きてるんだろう。

 

私は今、以前とは違う感覚で株に執着している。買う・売る、その結果は全てその時に決まっているように思えるからです。ただ単純に利益を得ることだけが目的ではなくなってきていますね。自分がどんな感情の時にどう考えてどんな動き方をするのか見定めたい。しかしどっぷり感情に呑み込まれた時はそんな事すら忘れてしまうので、まだまだ甘いなと反省する日々。

「もう駄目だ」そう思った時が買い増しチャンス(ナンピン)、という考え方もある。いわゆる「逆張り」と呼ばれ、株価が下落している時に新規で買うのと同じなのかな。ちなみに私はこの逆張りが好きだ。人生全般において逆張りで生きてるようなもんだから、そういう星の元に生まれたのかも知れない。もちろんリスクは高い。

とはいえ「総悲観は買い」というのはあながち間違ってはないと考えている。買いたい人に対して売りたい人が多ければ株価は上がらない。耐えられなくなって売りたい人が売り切ってしまえば、当然売る人が少なくなってくるので買いが増えれば上がる。そう考えれば不思議でもなんでもないのだ。

ただ総悲観という雰囲気でもないのに、持ち株が値下がりして耐えきれなくなり、売った直後に跳ね上がることが多々ある。私の世界だけ総悲観なのだが、本当に多々ある謎の現象。なので調子の良かった5月は、もう一つの証券口座で同銘柄を買うという方法を取り、意図的に「手放し状態」を作り出していた。

仮にA証券で1万円の株を買う。少し上がったらB証券でも買う。仮に1万5千円とする。それから上がったのち再び下がった場合、まだAでは利益があるにしても気が気ではない。そこでBが1万5千円まで下落が達したら売る。この時「もう駄目だ」と思っていて、売ると思惑通りに跳ね上がるのでAで利益が取れる、ということです。

こんなことをしていると、いかに無意識様から影響を受けているかよくわかる。私自身もそうだし、ヒトは皆そうなのだ。しかし大半の人は目の前の現実しか見ていないので、悪いことはすべからく外部からもたらされるものだと信じている。以前の自分もそうなので、それが一般的なのでしょうけど。

なので、私は誰のどんな言葉を聞いても「あなたの世界はそうなのね」としか思えなくなってしまった。私は好き好んであの家に生まれたわけじゃないけど、家を出た後の人生は私が選んだんだ。毒親育ちは不幸ですか?私はそうでもないけど。結婚しないとか子供がいないって不幸ですか?私は全くそうは思いませんが。

「ない」ことを本当に不幸だと思ってる?「皆がそうだから自分も」って可能性はない?私はその種類の人に興味が持てなくなってしまいました。強者とか弱者とかそんなことすらどうでもいい。がっつり現実世界に生きている人かそうでない人かという目線で人を判断するようになった。

「好きなことをしてたらお金が入ってくるよ」なんてのをガチで言う人はだいたい潜在意識の使い手だと決め付けています。そんなことを言えばボロクソに叩かれる世の中なのですが、それもまた現実世界で生きる人の特徴なのでわかりやすいなと思いながら見てる。