優雅さ

『優雅な生活が最高の復讐である』もともとはスペインのことわざらしいです。

優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)

優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)

 

タイトルに魅かれ、お盆に買った本をやっと読み終えることができました。出てくるのは外国の方ばかりで、誰が誰だかわからなくなってきたから途中で止まってしまっていたのです。ピカソヘミングウェイはわかるけど。それに、内容は画家のジェラルド・マーフィーとその奥様の生き様を描いたものだから、芸術に縁がない私は情景を思い浮かべるのも難しくて。

とはいえ辛い時や苦しい時も自分が光となり周囲を照らそうとする人柄、どんな時も明るく楽しく過ごそうとする前向きさはとても素敵でした。簡単に引っ越しをしたり、船を買い替えたり、頻繁にパーティーを開いたりと、とにかくスケールが大きすぎるのですが。そんな優雅な生活ができるのはお金があったから。それは間違いない。

だけど私は「羨ましい」とか「お金があるから出来ること」といった感情は全然湧かなかった。彼等の優雅さとは、そういうことじゃないと思うのです。この中にはもう一組、お金持ちの夫妻が登場しますが、後で調べてみると、ご本人が「私達はアメリカで最もうらやましがられる夫婦だ」と仰ったことがあるらしいので、そういう時「も」あったんだろう。

しかし小説家であるイケメンの夫はアルコール依存症の果て、心臓発作により貧困の中で亡くなった。執筆活動も行い、バレリーナとしても優秀だった美人な奥様は、精神分裂症で入院していた病院が火災に見舞われた際に亡くなっている。共に享年は40代という若さである。画家夫婦と小説家夫婦を比べれば、優雅さとお金は関係なく、贅を極めることだけが復讐になるわけではないのは明白だ。

資産家だったマーフィー夫妻が復讐しなければならなかった相手は、運命とか人生とかそういうものだったのだと私は解釈しています。いくら愛情深くて奉仕の精神を持っていても、防ぎようのない不運に遭遇することはある。そんな時でも「人生のじぶんでつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないんだよ」と言い切る強さに、なぜか堀江氏が重なってしまった。

「絵をはじめるまではぜんぜん幸せじゃなかった、絵をやめざるをえなくなってからは、二度と幸せになれなかった」と語ったジェラルド氏にとって、目に見える優雅な生活だけでは復讐にならなかったのかも知れないと思うから。

『好きなことだけで生きていく』私はその意味を噛み砕きもせず、無責任だとか自分勝手だと批判する人とは、もう相容れないなと感じている。