他人の問題

私は今月の初めくらいから自分に対する周囲の反応が変わってきた事にうっすらと気が付いていました。

何故か知らないけど、やたらと人が寄って来る。取引先に行くと大歓迎ムードを受ける。女性の顧客から下の名前で呼ばれる事がより一層増えた。「話すと元気が出る」と言われるようになる。

ざっとこんな感じですが、営業の顔をしていれば特別な事ではないですし、この時は空白の2か月の中にいたので深く考えることもありませんでした。

少し意識が自分に戻ってきた頃、顧客の一人から「本当に(私)さんはよく笑うよね」と言われてハッとした。そう言われると確かに笑っている事が多いし、関わる人のほとんどが笑顔だと気が付いた。そして自分が無理をしているわけではないことも。

 

これはおそらく過去の書き換えによって、根本的な怒りや不満が昇華できたことによる変化だろうと考えています。

私は、怒りの根底には必ず原因があると思っている。私自身のことだと、家族に似た性格の持ち主を見るだけで怒りが湧いていたし、自分の嫌な部分と同じ性質を持った人に同族嫌悪を感じてしまう。そして過去の記憶も同じで、根本的な問題を根絶やしにしない限り、何度も何度も同じ場面でそれは繰り返される。

自己愛も共依存も些細な事で人を責め立てるけれど、責められた側はあまりにも理不尽すぎて対処のしようがない。先日相談を受けた女性も逐一間に受けて改善しようとし、何が正解かわからなくなるというダブルバインドの被害者になっています。

そして彼らにも何かわからないけど怒りの原因があって、その何かと向き合わない限り一生加害者であり続ける。これは変えられないだろうから、受ける側の心の在り方として、今自分に向けられている怒りは自分のせいではないと理解する事が望ましいと思う。

彼女に「自己愛から言われた事を、もし家に帰って家族が同じ事を口にしたらどう思う?」と聞いてみました。「言いやすい家族に自己愛への怒りまで乗せてしまわないか」と言うと落胆した顔で頷いた。

こうして自己愛の問題は自分の問題にすり替わり、負の連鎖は続いていく。もちろん私自身も被害者であり加害者であった事も前置きした上で、簡単に他人の怒りを引き受けてはいけないんだと言うと、何かを察してくれたようでした。

偉そうに語れる身分ではないけれど、他人の問題を背負うことは本当に怖いと思う。他人に無関心になるのではなく、相手を見極めるのが重要だと言いたいのです。

私はもう「冷たい」と言われようと「人の気持ちがわからない」と責められようと一向に構わない。あの子を傷付ける事に比べれば、この世で起こる大半の出来事は取るに足らない問題だと思いはじめています。