無機質

今日は朝からホムセンに行くつもりだったんだけど、あっさりなかったことにした。寝たり起きたりしながら夕方までゴロゴロ。実に1か月半ぶりの怠惰。どうしてもホットカーペットを敷き直す気分になれない。

いや確かにさ、勢いに乗って「この際、ラグも買い替えよう!」と考えていたのは事実。でも「したいからする」のと「しなくてはならない」はぜんっぜん別物です。あんなことやこんなことも好きでやるから楽しいんであって、義務になった途端修行みたくなるやん。人間とはそーゆーもの。

カーペットもそうだけど、私には以前使っていたPCの処分という更に億劫な断捨離が残っている。かれこれ7,8年前まで使ってたのか?容量が小さいから替えただけで壊れてはいない。だからデータが残っていて、闇深い日記なんかがあるような気がする。見られないだろうけど、万が一見られたら恥ずかしすぎる。

意を決してそっちからやっつけることにし、線を繋いでスイッチポチー。起動はしたけどモニターが死んでた。ウチには一体型デスクトップとノートしかない。残念ながらそれらをモニターとしては流用できないらしい。そして全てのヤル気をなくして今に至る。 

 

気分の浮き沈みが激しかった今週、ちょっと気付いたことがあります。「いいことを考えればいいことが起きる」について。この場合の「いいこと」とは、具体的に「いいこと」を想像することとは違うのだ。私はこの1か月以上、思考のほとんどを断捨離関連に向けている。これは「いいこと」に入るのだと思う。

逆に「〇〇が手に入ったらー」「△△がこうなったらー」という、一見ポジティブに見える妄想を脳内で繰り広げていても、意識が「ない」を向いていたら「わるいこと」なんです。だから「いいことを考えているのにわるいことが起きる」という矛盾が生じるのだろう。この辺りが混乱するところだと思いますね。

 

数週間前、買おうと思ってたモノが値上がりしたくらいで落ちてたことがあったんですが。その後再び値下がりしたところですかさずゲットしました。とはいえ断捨離を終えたら使おうと、まだ開封もしていないんだけど。

現実に一喜一憂するのって、三次元に生きる人間ならではの良さでもあり、ヒトらしい生き方なのかもしれない。でも私は嫌だな。疲れるんだよ。

無機質な人間を目指す。