寛容

いじめ問題について書いた後、レベルの違う問題が出てきて笑った。笑うとこではないんだけど、「なんでこのタイミングなの」っていう。その流れで、このパンデミックを最大限に利用できる人達がいることに気が付いた。

コロナは元々陰謀論という説があるらしいが、私の出した結論もそれに似ている。でも陰謀論を盲信しているわけではないし、仮に真実だったとしてどうということもない。普通にありえる話だからだ。

ちなみに私は陰謀論に関係なく、ワクチンは打たないつもりです。幸い、うちの会社はユルいので「ワクチンは打ちません」と言い切っても、特に何の反応もなかった。「あ、そうなの。」という感じ。そこへ頭のいい上司がやってきて「僕も打ちません」と言ったもんだから更に安心。

そもそも今のワクチンってなんなの。国産の薬はなかなか承認が下りない反面で、まだ治験中のものを「安全」だと言い切るのにはどんな理由があるんだろう。それこそ盛大な人体実験だよな、と思ってしまうのだ。

ワクチンで亡くなるようなことがあれば約4000万支払うなんて話があったが、現実は「因果関係が認められない」で終わりである。まぁこれは想定内。でも、もしこれが国内企業だったらどうだろう。タダじゃ済まないと思うんですけど。

泣き寝入りになるリスクを背負いながらも、有難がる風潮が怖い。一体その寛容さはどこからくるのか。「許し」のボーダーラインはどこなんだと。

 

何事にも裏と表がある。

オリパラを含む一連の流れを見ていて、日本人が元々持つとされる美徳や信念は、とてもご都合主義なものだったんだなと感じた。自分を疑わないのは良いことである。が、残念ながら自分を信じることとイコールではない。

一つの認識を頭で捉えるか心で捉えるかの違いだけなのかもしれないね。

 

深い意味はありませんが、なんとなく書いておきたかった。