私は「この世で起こることは全て自分の責任」そう思って生きている。思う思わない関係なく、そうなんだけども。
私はコロナワクチンを打っていない。当時も書いたけど、日本政府(正確には利権の絡むもの全て)を信用できないのと、治験者になりたくなかったからだ。
その頃の世間は「非接種者は罹患しても病院にかかるな」なんて声も大きくてですね。死ぬ覚悟はできていたから、それでも構わないと思った。もしそうなっていたとしても誰を恨むということはなかっただろう。
先日、会社の人とたまたまワクチンの話になり。「上司に言われなかったら打ってない」などと言い出す人がいて、残念な気持ちになった。
そもそもうちの会社はマスクすらずっと自由なんで、ワクチン強要なんてあるはずがない。実際のところは雑談の流れから「〇〇さんは打った?」と聞かれただけのことで、強いられたような言い方はあまりにも無理があるんやないかと。
それに私はこの人が最初から打つ気満々だったのを覚えてるし。だけどおそらく、この人はワクチンの接種を微妙に後悔しているのだろう。
自分で決めたという意識がオブラートばりに薄いので、不都合な現実に向き合えないのである。記憶の断片を集めて、外部からの影響にするしか折り合いがつけられんのだと、そう思った。
気がつけば。マスクを着用するかしないか、それすら国に決めてもらいたがる人で世間は溢れかえっておる。奴隷なんですか?それとも飼われてるんです?
不自由は自分の中で作られているのだ。