Iさんの話8~もともと親はいらなかった~

出会って8か月が過ぎた頃のIさんは、以前にも増して笑顔を見せてくれて、眼差しがとても優しくなりました。言葉使いも柔らかくなり、時々冗談を言ってくれるようにもなっていました。

私はこの時Iさんを他の人とは違うと認識していたものの、異性として見るようになるとは思いもよりませんでした。今までのように感情が浮き沈みすることがなかったからです。 

Iさんは責任が重い仕事をこなしながらも、とても冷静で感情の波がほぼありません。口数は少ないのですが一つ一つが素直で思いやりに溢れています。なんだかわかりませんが”美しい”と感じます。そして私とは違う世界の人。

思い返せばこれまでも沢山いたはずなのに、何故そういう人から逃げたのか考えた結果、私は親を拒否しつつも、親と違うタイプの優れた人を好きになったり尊敬する事は親を裏切る行為だと思っていたのだという結論に至りました。

 

私は幼い頃から争い事が嫌いで、どうしても友達をライバルとは思えないのに「あの子には負けるな!」と責められる。

母親の役に立つ事をすれば可愛がってもらえる。しかし父親から褒められる事をすると逆上されて暴力を振るわれる。

兄弟喧嘩で相手を泣かせてしまうと謝ってしまう。そしたらひるんだ所を反撃されて傷を負う。

優しさなんて何の役にも立たない。情けをかけるのは悪い事。そう思って生きるしかなかった。

 

苦しさの中にいた時は見えなかったけれど、冷静に考えればやっぱりおかしい。実の親でも相性が合う・合わないはある。望むものも生き方も双方相容れないなら、離れた方がお互いの為なんじゃないかと。

私は心の底から親と親に似た人が嫌いです。

「産んでくれた親を蔑ろにしてはいけない」「子供を嫌いな親なんていない」「親孝行のできない人は優しくない」世間は勝手なことばかり言う。それは普通の家庭環境が前提であるとそろそろ気付いて欲しいのです。そう思える環境にない子供は、そう思えない自分に罪悪感を抱き続けなければいけないのだから。

児童虐待が過去最高を更新しているのは、虐待された子供が親になり、当たり前のように繰り返しているからだと思う。おかしいと思わない方が大きな問題なのに。

 

本当の私は今の親から愛して欲しくなんてない。全部まやかしだった。要らないものを欲しがって苦しんで馬鹿みたい。努力の方向を完全に間違えていた。