メサイアコンプレックス

私は自己愛を見捨てるのと同じく共依存者も見捨てました。突き放したという方が正しいか。

この辺りから自己愛に変化が見られるようになったのです。まず言葉遣いが丁寧になり、他人を気遣う言動が増えました。上っ面だけでしょうけれど。それから共依存者と距離を置くようになったこと。

 

私は自己愛から発せられた「努力してもできない人もいる。その人達の気持ちを全く考えていない」という言葉を忘れることができませんでした。私は場所を変え人を変え、似たような言葉を何度も聞いてきましたが、自己愛と共依存の組み合わせにはお決まりの台詞なのでしょうか。

仕事において「自分さえ楽をすればいい」という考えを持たない私は、他人が困っていれば助けようとしますし、相手に負担を掛けるほどの仕事は頼みません。そしてお願いした以上はどんな結果になっても自分が責任を取るつもりでいます。にも拘わらずどうしてそんな事を言われなければならないのか。

 

一口に共依存といっても、誰か特定の人だけでおさまる場合もあるようですから全ての人が害になるわけではありません。病的に「人を助けたい・人の役に立ちたい」というメサイアコンプレックスを持つ人が問題なのです。一見親切そうな人に見える場合もあることから自己愛よりも厄介な存在かも知れません。

通称メサコンは他人から感謝されたがる生き物です。普通の人も感謝されれば嬉しいですが、あくまで動機は自分のためであり本当に相手の役に立っているか否かはどうでもいいのです。

ですから誰かを助けるために自分が努力するなどあり得なく、自分が無理なく出来る範囲で優位に立つには劣っている人が必要になってくる。

歪んだ承認欲求を持て余した結果、無理にでも他人を「ダメな人、かわいそうな人」に仕立て上げておいて自分が助けるというマッチポンプ方式により他人を自分のレベルまで引き摺り下ろし、最悪の場合潰してしまうことだってあるのです。

過干渉な毒親もメサコンだと言えるでしょう。身勝手で自己中心的すぎる思考から「何もできない子」に育て上げるのですから。

 

メサコンにうっかり隙を見せて自我を奪われるか、それに乗らず他人の気持ちがわからない人でなし扱いされるか。

私は後者を選んだ。一度メサコンに潰された過去があるからです。今度は私が潰す番だと思いました。