手綱

腐ったマフィンの件見てて昔の上司を思い出した。クソすぎるがゆえ私の人生になんの影響もなくて、多分ここに書いてない気がする。

マフィンの件さ、一番優先するべきなのは健康被害に遭った人だと思うんだけど。外野が追い詰めて当事者不在になったら意味なくない?昔の上司は、いわゆるこの無責任な外野タイプであった。

その会社にいた時、仕事帰りにたまたま家とは反対方向へ向かっていた途中で、割と大きめの事故したんですよ。そしたら相手側の車屋がすっ飛んできて、ついでになかなかクセのある人で。

そこへ運悪くその上司が通りかかってさ、最悪ってもんじゃない。「うちのスタッフになにしてくれとんねん」ぐらいの勢いで噛みつく。こういう時だけ無駄な正義感出すよな。「いや、大丈夫なんで」と早々にお引き取り願いました。

ぜーったい話がこじれるから。私側の車屋さんも到着し、「相手が悪くても迂闊なことを言わないほうがいい」という合意の元、穏便に話を済ませ、最終的にこちらの過失割合はかなり少なくなった。

そのあと、昔の上司は痴話喧嘩で路上に押された人を撥ねたんです。直後は相手が謝ってたらしいけど、一転して殺人未遂だかなんだかで裁判沙汰になりました。

パラレルワールドじゃないけどさ、分岐点ってやっぱあると思うのよ。自分のことに関して、無責任な外野に手綱を握らせてはいけない。

それは自分の責任でもあるのだ。

 

ニンジン

数年前まで私は今の会社でパワハラと戦っていた。

ここ1年ほど私はほとんど仕事に集中していない。いいのだ、それでも上手くいく。

ボーナスはほぼ倍になった。そう、なにもしなくても上手くいくのだから。

にもかかわらず、「会社に行きたくない」と思うことが急に増えた。

更年期?気のせい?自分を誤魔化してきたけど、多分頭打ちだ。

かといって以前に戻りたいわけじゃない。今の生活は気に入っている。

今欲しいものは目の前のニンジン。

どんなことをしてても手に入れたい、そう思えるニンジンが欲しいのです。

 

アレキ

風の時代。今、願いが叶うスピードが格段に上がっているらしい。それは私も感じているのですが。

今年4月、パパラチアのネックレスを買って以降、ジュエリー熱が治まらなくなって。10金のプチプラも含めると幾つ買ったのかわからないくらい買った。

今のブームはガーネット。一般的な赤系ではなく緑のやつ。カラーチェンジガーネットも素晴らしい。

とはいえ。カラーチェンジといえばやっぱりアレキサンドライトですよねぇ。ただめちゃくちゃ高い。いつかは欲しいなぁと思うけど、今手を出すほどには惹かれない謎の石。

 

先月から母が「見せたいものがあるから来い」とずっと催促してくるので、今日やっと行ってきた。見せたいものとはアメジストのネックレスだった。

私は全くアメジストに惹かれんのだけど、なんだかんだの押し問答の末イヤリングと一緒に貰うことになった。

「こっちはあんまり良い物じゃないから」と次々箱を開けて行く母。そこにはダイヤ取り巻きのアレキが!!…ちなみに母はジュエリーに疎い。なんでここに。

「じゃあこれも持って帰り」と言ってたが、それは断った。死んだら貰うよ、と思いつつ。

アレキサンドライトはもう既に「あった」のだ。ちょっと鳥肌立ったので書いておく。

 

 

カード

10数年前に見つけたブログ。その人はざっくりいうとお金持ち(ざっくりしすぎ)。当時はよく潜在意識のことを書いていたが、ある時その存在を撤回してしまった。

そして最近再び原点に戻ったようである。結局行き着くところはそこなんだなと思う次第。いや、そうなのよ。宇宙の法則は絶対。

近頃さ。色々バカらしくなってきて。正しいとか間違ってるとか、所詮人間の決めたルールじゃないの。あと価値観にもよるし。

そんなくだらないことのために必死に争う人間ってなんだろうと。正義が悪を生んでるんじゃない?って思うようになった。だってそうでしょ、悪がなければ輝けない人達がいる。

宇宙の法則に則って善悪を決めるのならば。幸せな人=善ってことになるね。三次元では悪でも、宇宙的には善。

全ての人間に配られた素晴らしいカード。それこそ平等なのです。

 

 

ゴキゲン

話の流れから知人が「借金の支払いもあるし」と言った。コロナ禍で受けたゼロゼロ融資らしい。続いて「返さない人多いらしいよね。信じられない」と。

私はむしろそっちのほうが想定内で、国は承知の上でお金貸したんだとばかり思ってました。メディアは今さら何を騒いでるんだと。良いとか悪いとかじゃなくて。現実見ようぜ。

現実を見ないことによって生まれる負の感情を舐めてはいけない。現実を知っていれば驚いたり感情を揺さぶられることって格段に減る。

そして他人は変えられないことを頭に置いておけば、考えても仕方のないことを考える必要がなくなる。時間も増える。

ゴキゲンを保つためにできることって実はいっぱいあるの。

 

 

妄想族

自己愛の強い人多いよな。そうそう、自己愛の強い人も妄想族である。

私の上司である元自己愛は本当に大変だった。進捗状況を聞いているだけなのに、できない理由を喚き散らかす。答えになってない。そんなことは聞いていない。

こちとら責めもしてないし咎める気もないが、彼の無意識がそうさせていたのであろう。自分がそういう人だから。あと、とにかく怒りたいってのもあったと思うけど。

だから聞く前に「たいした意味はないんだけど」「ちょっと聞きたいだけなんだけど」と前置きをするようになった。今は上司がこれをやっている。

理由を聞きもしないでキレ散らかすとか、サル並みだから。ただ、そういう人は理由を聞いたところで納得しないだろう。なんせ妄想族なので。

人間に進化した彼は穏やかである。いくら正しいことを言っていようが、妄想族との間に争いは尽きないのだとよくわかった。

ともすればこちらが加害者にされてしまう可能性だってある。なので妄想から抜け出せない人とは関わらないほうがいいのです。

平和を望むなら。

 

 

幸せの概念

潜在意識系でよく『「いま」幸せになってください』というフレーズを見るけれど。あれについて。

私が自分を不幸だと思っていた頃、幸せになりたいと願い、幸せになるための条件を揃えることに必死だった。

しかしある時、他人が持っていて自分が持ってないものを数える無意味さに気付いたのだ。他人は他人。それを私が持ったとて、幸せになる保証などないのだから。

だけど簡単には握りしめた願望を手放せない。手放せない理由は…色々あったのだと思う。一番は不安だったような気がする。

でも危惧していたようなことは何もなかった。相変わらず物欲がなくなることもない。したいことがなくなるわけでもない。

とはいえ、手に入れても派手な喜びはない。手に入れなくても執着はできない。次から次へと湧いてくるそれらをいちいち覚えていられないの。私の「幸せ」を揺るがすものではないし。

結局、私が手放す必要があったのは「願望への執着」ではなく「幸せの概念」だったということなのだろう。

どこかの誰かが作り上げた「幸せの概念」にしがみついている自分だったのだ。

結論。「幸せ」とはただの状態である。