通過点

”メサコンちゃんの話”では二人の事しか書いていないけれど、本当は他にも自己愛や依存者が絡み合ったカオスな環境でした。それでも私が一番好きだった仕事だったから耐えられたのだ。

私は最近までこの会社の事を引き摺っていた。あの時どうするのが正解だったのだろう。もっと彼女たちの気持ちに寄り添えば良かったのか、今の会社のように仕事を抑えるべきだったのか。それとも故意に引き起こされた業務妨害すらも笑いとばせる程の力があれば今でもあの場所にいられたのだろうかと。

今の会社で自己愛と戦ってきたのはこの答えをずっと探していたからです。けれど自己愛+共依存に関わると、この時の記憶がフラッシュバックする。思い出すだけで辛くてお酒を飲まずにはいられなかった。

 

数週間前、身体を壊した時にこの会社の事を考えていました。

連日深夜まで及ぶミスの後始末、休日も顧客からの電話で起こされ、時には休みを返上してクレーム処理に向かわなければいけなかった。血を吐いても休めず、病院よりも仕事を回すことを優先させなければならない。誰も助けてくれなかった。

体と心は既に限界をとっくに超えており気力だけで乗り切っていた反動で、退社後は年単位で体が思うように動かなかった。食事も取らずお酒を飲んで寝るだけの生活。毎日いつ死のうかと思っていたことなど。

それが今は周りの人達が率先して私の仕事を肩代わりしてくれたお蔭で、安心して休むことができている。「死にたくない」と思える。感謝と嬉しさでいっぱいでした。

 

私は口先だけの陳家な感謝なんて欲しくない。見たくもない他人の自慰行為を堪能できるほど悪趣味でもありません。

あの場所はただの通過点にすぎなかったのだと、やっと思えるようになった。