自己愛の観察~お役御免~

最近スピ要素強めな事ばかり書いていますが、至って普通に日常生活を送っています。

あの子に出会ってからほどなくして自己愛と出掛ける機会がありました。その後は行き先が違ったので別の車で行けたのは不幸中の幸いだった。そこで用事を済ませて帰ろうとした時、先方から引き留められてお茶に誘われたのです。自己愛ではなく私が。

私はこういう場面が昔からとても苦手だ。特に自己愛のように自分が一番でなければ気に入らない人にとってはもの凄く屈辱的だからです。心の動揺が手に取るようにわかる。

だから自己愛と共に行動していた頃は、常に数歩下がって前に出ないように心掛けてきた。コミュ障気味の自己愛の失言をフォローし、場を和ませることだけに徹してきました。あの頃なら今回のように車が別でも自己愛を立てておいとましていたと思う。

私は即答でOKし、自己愛に向かって挨拶代わりに満面の笑みで頭を下げた。その時の自己愛は引きつった半笑いを浮かべ、まともに声も出ないくらい動揺していました。狼狽えすぎだろ。

 

家族を始めとし、この類の人は相手に合わせてもらっている事に気が付いていない。自分が合わせることがないからわからないのは当たり前かも知れないけど、ただ単純にそういう性格だと思い込んでいる節がある。

気が弱いとか大人しいとかでひとくくりにして、歯向かわないと思う人間を見抜く能力だけには長けている。それが気遣いだったり思いやりである事など知る由もないのです。

私は自己愛のような人より大人しい人の方が怖い。不満があっても口に出さない人(今はサイレントクレーマーと言うらしい)は何も言わずに突然居なくなるからです。そうなった時にいくら取り繕っても遅い。出した結論を覆すくらいなら居なくなることはありません。

だからこそこまめに不満の種は取り除かなければいけないと常日頃から考えて行動している事なんて想像も出来ないんだろう。

私はもう自己愛の引き立て役なんてごめんだ。私の力は私の為に使う。