どっちに行くか

あの子と出会ってから、私はいつからか幸せだと思う事が増えました。特に良い出来事があったわけでもなく、例えば料理をしている時だったり運転中だったり本当に何気ない瞬間に「幸せ」と呟いてしまう事もあります。

私はあれから過去の出来事以外、他人の事をほとんど考えていません。あの子とジュエリーの事だけを考えて1ヶ月が経とうとしている。

他人の事を考えないというのは他人がどうなってもいいと思っているのではなくて、寧ろ幸せであって欲しいと願っています。ただそれは今の自分が考える事ではないと思う。他人を幸せにする前に自分を幸せにしなければ。

 

ジュエリー関連の掲示板を見ていた時、購入しようとしているダイヤの大きさについて悩んでいる方がいました。他人から見て嫌味にならないのはどの位なのかという相談に対して、なぜそんなに他人を気にするのかわからないという意見がとても多かった。

その板はもう何年も前のものなのに、自分の軸で生きている人は当たり前に世の中に存在するんだと驚いた。私はもちろん悩んでいる方の気持ちがわかる。だから一つ一つの意見が心に突き刺さりました。

ネットの中だから本心かどうかは分かりません。けれど多くの方は「自分のため」にダイヤを身に付けているのです。それが目を引くような大きさでも他人に見せる為ではない。自分が好きな物を選んだだけ、否定も肯定も受け付けませんという勢いにとても憧れました。

私はこれまで仕事中はアクセサリーを付けないようにしていて、最近はごくシンプルなのを1点だけ身に付けています。これはソウルメイトのNさんから「お客様より上の物を身に付けてはいけません」と言われた事を今も守っているからです。

今の仕事は特にそうした方がいいと思う業種ですし、これはマナーの問題なので好きな物を付けたいとも思いません。例え内勤でも常識の範囲で気を付けた方が良いとも思います。

ただ、許される環境にあり自分への労いで買う物まで他人の目線を気にして選ぶのは幸せと言えるのでしょうか。プライベートで楽しめばいいとかそういった事ではなく、誰かに何かを言われるのが怖いという理由で買ったそこそこの物を身に付けていて心から楽しいと思えるのかと思ったのです。

妬みや複雑な思いを抱く人がその場に居るかも知れないし居ないかも知れない。それより問題なのは本当に欲しい物を選ぶことは二の次で、他人の目を優先させることが当たり前になっている=他人軸で生きている事なのです。

自分が欲しい物を付けている人達は他人の物をあまり見ないと書いていた。そして褒め合う事はあっても、悪口を言われたり貶されたことはないとも。だから悩んでいる意味が理解できないようでした。

私は以前「精神の二極化」という記事を書きましたが、何となくそれを目の当たりにした気がしました。自分軸で生きている人の周りには同じ波長の人しかいない。その逆も然り。

それはきっと自分の気持ちに正直に生きているからなんだと思う。他人を思い通りにしたいというのが正直な気持ちだとしても所詮他人軸だから上手くいかない気がする。自分を大切にする人同士の間には諍いや勝ち負けは存在しないんだ。

私はそっちに行きたい。

 

今の心情。(音量注意)


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