日記

私はIさんと出逢った日から日記を付けていたのですが、同時に「いいこと日記」も付けていた。その日あった良い事だけを簡単に書くというものです。

しかし、これは残念ながら1年後に友人を亡くした後から止まっている。友人に悪いとかそんな気持ちを持ってはいないはずだけど、何となくそんな気分になれなかったんだと思う。

お盆の間、潜在意識の本を読み漁っていた所、「ありがとう日記」というのを目にしました。とはいえ、多分随分前からその存在は知っていたけれど、当時の私には全く響かなかったのです。

内容は有名ぽいので私が書くまでもないですが、一日の終わりに「よかったこと・楽しかったこと・感謝できること」だけを書き、最後に「ありがとう」を付けるだけです。私の場合は「いいこと日記」の後に「ありがとう」だけでいいみたいで。友人の初盆を迎えた所で、気持ちを切り替えて再び始めてみようと思いました。

本当は無理やりにでも探して10個書くのをおススメされていましたが、私は毎日ではなく書きたくなった時しか書いていない。ですが最後に「ありがとう」と付けるだけで気持ちが大きく変わる。

私が「いいこと日記」を書き始めた理由はもう覚えていないけど、「自分はツイテる」という暗示をかけたかったのかも知れない。しかし、ただそれだけよりも格段にツイテる感が上がるのです。

いいこと日記も何かスペシャルなことではなく、買おうとしていたCDを突然貸してもらえたとか、買い物でおまけを貰ったとか、そんな小さなことも多いんだけど、「ありがとう」を付けることによって「自分を大切にしてもらった」という感謝の気持ちが湧いてくる。

つまり自己肯定感が上がる。今調べたら、実践されている人が結構いて同じこと書いてます。書いてなくても、「今日は何があったかな」と思い返していると、当たり前だと思っていたことが当たり前でないことに気付きます。

「ありがとう」とは、本来「有り難し」で「有ることがむずかしい」からきているのだそう。今で言うなら「あり得ない」になるんだろうか。

私の「よかったこと」は自分に何かが起きただけではありません。例えば私が誰かへ何かをした時に、思いのほか喜んでもらったりしたことも入る。自分の好意を受け入れてもらい、「ありがとう」と笑ってもらえることも決して当たり前ではないのです。

「クレクレ」で貰えることばっかり考えてると、大事なものに気付かなくなるなと思いました。

ちなみに私が読んだ本は引き寄せ関連(名前忘れた)で、感謝の気持ちが願いを叶えるといった内容でした。これはよくコップの水に例えられ、半分の水を「もう半分しかない」と捉えるのか「まだ半分もある」と捉えるのかで大きな差が出るとか。

何やら私は今、運気の流れが大きく変わりそうな予感がしています。私の最大の感謝は「私が私であること」(ざっくりしすぎ)