Iさんの話38~送る~

ここしばらく落ち込んではいましたが、ベースは幸せだった。それはIさんのお蔭です。誰かに盾になって守ってもらったという記憶は、いい意味でとんでもなく脳内を破壊する。

私はあれから見えないバリアの中にいるような感覚に陥る時がある。現実の彼がどうかは問題ではなく、Iさんの中で生きていると言った方が近いかも知れない。

生まれて初めて感じた安心感は説明のしようがないほど幸せだ。親に愛されて育った方は、親が亡くなっても傍にいるような気がするとか常に安心感を感じると聞きますが、こんな気持ちなんだろうか。だとしたら幼少期の記憶は大切だと改めて思う。

私はIさんの中にいるのだから、当然彼の事を考えない日はありません。けれど心配とか不安とかそういう感情は見当たらない。「好き」とか「幸せ」という気持ちしか出てこないのです。ただ彼の存在に感謝していた。

 

なぜ彼はあんなに挙動不審なのか。彼が何かしらの感情を持ってくれてるとしても、彼の態度が冷やかしや彼を傷付ける行為に繋がるのならば、それだけは避けたかった。そして私は他人の前で好意を表すことが恥ずかしい。嬉しい反面、もう少し控えめにして欲しいと思っていたのは事実です。

ある時期から依存する恋愛しかしてこなかった私は、何もかも相手任せで自分は何の努力もしなかったので、恋愛において相手の気持ちを察するのは至難の業だ。なので彼とぎこちなくなっていた時、笑ってくれない彼に寂しさを覚えつつも、どこか安堵の気持ちもありました。

しかし冷静に考えると、嫌だったのは私の方じゃなかったのか。彼は下劣な冷やかしなど全く意に介していなかったのだから。もちろん彼の気持ちはわからないから憶測ですし、私の思い込みなのかも知れない。だけど私は自分を安全な所に置きたいがために、彼を変えようとしていたのではないだろうか。

彼のためと思いながら本当は自分のため。彼の気持ちなど全く考えてなかったとしたら。私はどうすればいい?もしも私が彼を好きだと伝えられたら彼は安心するだろうか、どんなあなたでも大好きだと伝えられたら彼は平穏でいられるだろうか。そんなことを考えていた。

私自身、好意があるけれど相手の気持ちがわからない時、内心は穏やかではない。恋愛とまではいかない好意だとしても、相手も好意を持っているとわかれば自然体でいられるのではないかと思ったからです。恋愛弱者の私にはこれが精一杯だった。

 

先日Iさんに会った時、彼の態度はこれまでとは打って変わって、終始落ち着いていた。私の声に静かに耳を傾けて優しくうなずき、私の何気ない言葉に澄んだ声で笑い、その目は慈愛に満ちていました。真っ直ぐに見つめ合って目の奥で微笑みあう瞬間は「幸せ」という言葉を超える。

恋愛の愛情とは違うかも知れない。だけど私は彼の愛の中で生きていて、彼に愛を送る。そして私はまた彼から愛を貰ったのです。

昨日知ったのですが「愛を送るメソッド」というのがあるそうです。心の中でただ純粋に愛を送るというもの。私は意図せずこれを行っていたのだろうか。だけど効果があったとは言いたくない。愛されるためのテクニックはもはや愛ではないと思うから。

私は彼に何も与えていないし、何の努力もしていない。なのに彼はこんなに沢山の幸せをくれる。そして多分、そうしたものはこれまでも周りにあったんだろうな。私が見なかっただけで。