シンプル

あの落ち込みからもうすぐ2か月が過ぎようとしていますが、結局好転反応だったのかそうじゃないのか、まだわかっていない。ただ今の状態は一言でいうと、ヤバい。

まず会社に行きたくない。客先へ向かう足も遠ざかっている。特に何もしなくても疲れ、とにかく起きていることすら億劫なのだ。前の会社を辞めて鬱病になり、引きこもっていた時の症状とよく似ている。だけど鬱病ではなく、どちらかというと燃え尽き症候群のような感じ。

鬱には色々なパターンがあるみたいですが、鬱病の彼は人に必要とされたいタイプなんだと思っている。背負う必要のない事まで背負い、他人に理解されようと必死になっている彼は今の私より余程パワフルだ。外では見せていないが、廃人レベルは私の方が高い。

しかし辛いかと言えばあまり辛くない。今の状態を深刻に捉え、どうにかしようとも思わない所が更にヤバいんですが。廃人でありながら、むしろ人前ではテンションが高いくらいだし、楽しい事がないわけじゃないんです。無理しているのでもありません。私は自分の意志でこうなったのだから。

私は、全ての願いを捨てるとこうなるんだと冷静に自分を観察している。ヒト科は廃人にならない為に、自ら目の前に人参をぶら下げるんだろうかとか、そんなことを考えています。

「死にたい」と思う程の辛さを味わいながらでも、認めて欲しいと切望していた時の方が『生きている』と実感できていたのだから皮肉な話である。生きることには何の意味があるんだろうと悶々としていた日々の方が『生きていた』のだから、人生は謎だらけ。

私は今、何のために生きているのかと聞かれたら「生かされているから」と答える。生きている意味は結局なんだったのか?意味なんてない。意味はなくても死なない限り生きているのだから考えることの方が無意味だ。

嫌味じゃなく、本当に鬱病の彼のほうが輝いていると思うよ。だけど私はもう誰かを欲しいと渇望する人生はいらない。Iさんですらも、この先何があっても現実だけを受け止めようと思っている。ありのままの彼を見続ける。

 

私は最近、前の会社で上司だった人の事を考えていた。いわゆるダメな子が好きだった彼。彼はなぜあれほどまでにダメな子を必要としていたんだろうかと。仕事は抜群に出来る人なのに、本当は自分に自信がなかったんだろうかとか、そんなこと。だけど例えそうだったとしても、自分だけでは背負えなかったのだ。

私の父も彼も自己愛も、自分1人で背負えるほどの力はなかった。弱い人間が強くなった気になっても、弱いものは弱い。そして私は自分の弱さをこれでもかという程自覚した。だから弱い人を助けなければなどと傲慢な考えも持たず、足にしがみつく手を振り払って生きていこうと思っています。

無駄なものをそぎ落とし、シンプルに生きる。