神社の話

気が付けば年が明けて3日になりました。年末は大掃除をしようと意気込んでいたのですが、年の最後の習い事や年末詣に行ったりしていたら、中途半端な所で終わってしまった。でも今の所はまあまあ綺麗な部屋を維持出来ているので良しとする。

年末詣とは文字通り年末に神社へお参りに行くことで、これもふと閃いたので逆らわずに実行してきました。私自身は年末詣という言葉を覚えていなかったのに、どこかしらで得た情報を潜在意識はちゃんとインプットしているんですね。

そう考えると潜在意識系の達人がテレビやネットをほとんど見ないというのもわかる気がする。どうしても事件や事故といったネガティブな情報を無意識に焼き付けてしまうからだそうです。私はテレビは見ない代わりにネットで情報を仕入れているので、今後気を付けようと思う。

話がそれましたが、私は去年の秋になんだか縁のありそうな神社に出会いました。といっても、この日記の中で拾った1円を賽銭箱に入れた所なので初めてではないのだけど。その時は時間がなかったので、改めてゆっくりお参りしたいと思える神社だったのでした。

それから1か月ほど経った頃、再びその神社で時間を掛けてお参りを済ませた帰り、参道の一か所でふと鳥肌が立つような感覚がした。びっくりして立ち止まり、すぐ脇にあった木を触ると明らかに何かを感じる。試しに他の木を触ってみるも何も感じなかったので、おそらく発信源はそこだ。

私はしばらく木を触ってから記念に写真を撮りました。するとはっきり光の玉と虹が映っていた。光の玉はオーブとも呼ばれているようですが、現実はレンズの加減だと言う方もいる。だけど虹がかかっている現象はよくわからないので、神に祝福されたと勝手に解釈することにした。

写真の日付を見るとちょうどシークレットに出会った直後だった。好転反応がきつくて藁をも掴みたい気分だったんだろうか、その後憑りつかれたように何度もそこへ足を運びました。1本の木が「私は間違えていない」そう思わせてくれるようなエネルギーを与えてくれたのです。

今考えれば、去年は私の精神面において大きな転機になった1年でしたが、特に最後の3か月は怒涛の変化だったように思う。意識を変えるのは自分との闘いだ。そんな時に人間の力なんて無力に等しい。他人に何らかの救いを求めるなら、結局他人軸から抜け出せないのだから。

そういう思いがあって、ある種の支えになってくれたあの木と神社にお礼を伝えに行ってきました。神様って本当にいるんじゃないかな。

 

話しは変わりますが、初夢はなぜかピアスがたくさん出てくる夢でした。中でも印象的だったのがルビーのピアスを付けていた自分。検索してみるとなかなかの吉夢らしくて、縁起がいいなと思っている。今年初のお買い物はルビーのピアスになりました。