人生とマスク

そういえば、以前書いたフリマサイトの人からはすんなりお返事がきて(書いてる間にきてた)、無事お買い上げいただきました。値下げ分と送料・手数料を差し引くとプラマイゼロで利益はありませんが、捨てずに済んだので良しとしよう。ちなみにこの商品は出品してから1年くらい経っており、長い間意識の中から消えていたものだ。

一度もコメントが付かないまま月日が流れたある日、それがふと頭に浮かび、買値を割ってもいいから値を下げるか、値下げ+手間を考えると捨てた方がいいかと思案した所で再び意識から消えた。連絡がきてたのはちょうどその日だったっていうね。虫の知らせってやつだろうか。エイブラハム様のいう『内なる存在』は本当に有能なのです。

先々週パソコンが復活した矢先、今度は日曜の夜からネットとWi-Fiが繋がらなくなりました(月曜日の夜サポセンに連絡して無事復活)。スマホは使えますが通信料が怖いので、ネットを諦めて仕方なくエイブラハム様の本を読んでいた。月曜は有休を取っており、起きてる間は何度も読み返していたんだけど、飽きてきたからノートに書いて整理してみた。こうすると、より理解が深まる気がしますよ。

 

突然ですが、私はモノを作るのが好きです。少し前は布マスク作りにハマっていました。自慢だけどなかなか上手い。どっちかというと出来上がった瞬間より作っている最中のほうが楽しい。材料を買う時からワクワクしていて、「この色と柄は、あの服と合わせたら似合うな」とか考えるだけでニヤニヤしてしまう。エイブラハム様が仰っているのは多分そういうことなんだろう。

私がマスクを作ろうと思い立った時からマスクは「既にある」。作るという作業をしているから表れるわけだけども、その最中も楽しくて嬉しいんだよね。もしも苦手だったら面倒くさくなって投げ出してしまうかもだし、上手くいかなかったら腐ってしまうかも知れない。単純に考えると多分それと同じなんだよなぁ。

私達は感情によって世界を作っている。だから世界を作っている間は楽しまなきゃならんのだ。世界は布マスクみたいなもんだったんか(違)

 

そもそも私がミシンを使い出したのは、若くてお金がない時期に服を作るためだった。私は細身だけど、ネットなんて普及していない当時は今のようにSSサイズをお手軽に買えなかったのですよ。オシャレをしたい、でもお金がない。なら作ってしまおうと考えたのだ。趣味が高じて、一時期それを生業にしていたこともあったりする。給料安いから辞めたけどさ。

ないなら作るしかない。実は世界も意外と簡単に作れるんじゃないかしら。なーんてな。言うは易し~だよ。