後ろ向きな創造

断捨離8週目を終え、9週目に突入しました。

昨日やっと、以前使用していたPCを処分してきた。あれから休みの日に外出するのが体力的に辛くて、なかなか持っていけなかったのよ。そしてカーテンを新しい物に替えた。ゴールが見えないんだけど、これいつまで続くんだろう。

この頃、週2の割合でお昼を取らずに寝ています。ついに先日、会社の人から顔の疲れを指摘された。自分でも薄々気付いている。精神的には充実してるのに、うまく口角が上がらない。

 

断捨離2か月で変わったこと。

私は元々モノを都度片付けられない人である。出すだけ出して一気に片付けるタイプなのですが、モノが出ていることがとても気になるようになった。だけどキレイ好きになったわけじゃない。

目に入るモノに対して、脳は瞬間的になにかを思考している。そして「やるべきこと」はやり終えるまで脳にとどまり続ける。それらで埋め尽くされると、必要なことが埋もれてしまうのだ。つまり脳のゴミってことなんですねー。

部屋と同じで心や脳にもキャパシティがあります。不安や悩み、心配事で満タンになった心や脳の中からポジティブな思考を取り出そうとしても、それだけで労力を使ってしまい、行動までに至らない。脳のゴミは即刻捨てるべし。

 

そんなことを考えていると三次元的思考がとても無駄に思えてくるのです。世の中の大半はどーでもいいことで埋め尽くされている。ヒトは些細な問題をことさらに大きくし、解決するのが好きなようだ。そのせいでひっそりと新たな問題の火種が生まれる。そして些細な問題をことさらに…エンドレス。

問題にしなければ問題にならないのに、問題にしてしまうから問題に発展するのだ。こんなことをリアルでいうと、また「人の気持ちがわからない」とか言われてしまうのだろう。別にいいですけど。「わからないと思うなら期待するな」って話である。

行動を重視する物質世界は「すること」に大きな価値を置く。だから、ほとんどの人は周囲の物を動かし続けることによって、前進しているかのような錯覚を抱く。

エイブラハム様はこんなことを言う。行動だけでは限界があり、喜びを伴わない行動は「後ろ向き」な創造であるという意味なのですが、私達がやっていることは本当に物を場所から場所へ動かしているだけのことだったのです。

だってそうでしょう。地球上にいる人間全てが「いま幸せになる」を実践できれば、世界から「不幸」という言葉はとっくに消えてなくなっている。

実践できない人が多いからではなく、それでは困る人達がいるから世界は幸せにならない。なぜなら、行動する理由がなくなるからだ。