滑稽

近頃、ネットニュースで「差別」という言葉を見ない日がありません。ちょっとしたブームなのだろうか。げんなりを通り越して、もう「アホか」と。

個人的には、相当の補償を得たのなら「もう許せよ」と言いたくなる。「そんなもので心の傷は消えない」という主張がワラワラ湧いてくるのだろうけど、「じゃあ、どうすれば許せるの?」ってなるよ。

でもさ、結局は許せないんだよね。違うか。「許さない」んだよな。

客観的に見ると、いま許さないんだから、それはきっと死ぬまで永遠に続くわけで。既に決まってる未来を語ることに何の意味があるのかと思ってしまう。今の私から見れば「俺は将来死ぬんだ!」と叫んでいるのと同じにしか見えなくて。「そりゃそうだろ」としか。

もちろん三次元でこんなことを口に出すのは許されない。だから静かにフェードアウトする。彼らは「滑稽だな」と冷ややかに眺められる日が来るだろう。奪い合う人達と与え合う人達は同じ次元で生きられないのだから。

まさか自分がこんなことを言う日が来るとは思わなかったけど、来ちゃったんだからしょうがない。

 

私は家電だけでなく生活雑貨を買うのも好きではありません。なのに断捨離を始めたお陰で、さして購買意欲の湧かないモノを大量に買う羽目になってしまった。そういうものほど「今は買う時期なのか」「いま必要なのか」と吟味する。好きじゃないからこそ「損をしたくない」という心理が働くのだと思われますが。

”必要だけど今でなくてもいいモノ”はずっと脳内に残っていて、タイミングを計っているのだろう。「んー、まぁいいか」と放置していると、ふっと絶好のチャンスが巡ってくる。ポイ活の成果を見るために私はずっと記録をつけてるのだけど、今月はクーポンやセールだけで5万円弱は得してますの。

かといって無駄なモノは買っていないので、逆に言えば、行き当たりばったりで買うとそれくらい損をするってことだ。「する」というか、してきたのでしょう。脳内のキャパが大きい人はどうかしらないが、私の脳は過去や他人を恨みながらワクワクを感じられるほど領域が広くない。ネガティブとポジティブは同居できないのだ。

決してお金だけの話ではなくてですね。

良い未来と悪い未来を同時に考えることはできないのです。悪い未来を創造することにメリットを感じられないだけ。だから私は誰かを恨んでるヒマなんてないのです。