ミルフィーユ

『小さなことに感謝する』

「引き寄せのキホン」みたく言われる言葉なのですが。

あ、その前に。私はやっと引き寄せ人生のスタート地点に立てたのかなと思っています。ですが今はこれといって望みがない。「あぁなりたい」「こうしたい」などと先のことも考えていないし、叶えたい願望もない。これからも考えたくはありません。だって人は変わるから。

今欲しくてたまらないものがあったとして、手に入れる頃には興味をなくしているかも知れないでしょう。その時その時、「欲しい」と思ったものに手が届くような毎日だったら、最期に「いい人生だったな」と、そう思えるような気がするんです。

小さくてもささやかでもいい、「あ。嬉しい。」がミルフィーユのように積み重なった人生が私の理想だったのかなって思い始めてる。

 

卵が先か鶏が先かはわかりませんけど、私は明らかに感謝することが増えました。

断捨離をする中で、今あるモノを使わないのは残酷だなぁと思っていて。私が私自身のために集めたモノをないがしろにしてるってことだから。モノにもエネルギーがあります。モノだって主に使って貰いたい、役に立ちたいと思ってるんじゃないでしょうか。

なのに使いもしないで、挙句の果てには「なんか波動が重いわー」なんて文句を言い出す。モノの波動が重いんじゃなくて、波動を重くさせたのはワタシだったのだ。情けない限り。それについては、捨てながら反省しました。

そんなこんなの反動からか、意味もなくいちいち嬉しくて有難くて堪らない時があります。さっきトイレを掃除しながら無意識に「有難いなー」と思ってる自分にハッとした。

高い波動は良い出来事を引き寄せる。波動の高い時は『内なる存在』と繋がっていると言いますが、『感謝の気持ち』って波動が高い時でないと出にくいんです。なので、闇雲に感謝さえしとけば願いが叶うのではなく、感謝できる心持ちでいるから願いが叶うというシステムなのではないかと。

『小さなことに感謝する』こんな言葉は聞き(読み)飽きています。それでも私はできなかった。「そんなことをしたら小さなことで満足して終わってしまうんじゃないか」とか「こんなことで満足してやらないぞ」という気持ちもありました。

今はそれで終わるならそれでいいじゃん、と思っています。感謝できる”なにか”がある。それを『幸せ』っていうんじゃないのかな。