偉大

私は仕事に限定すると潜在意識をなかなか良いほうへ使えていると思う。自己愛ですら昔から「持ってる」と認めています(アンタほどではないけどね)。だけどそれは会社のためだから使えるの。私はずっと、まず先に与えてから返して貰うというスタンスで生きてきました。

会社だけじゃなく、こう見えて割と他人の幸せを願っていた。でも決して善人ってわけではない。自分を利己主義に感じるような行為が嫌いだっただけだ。今でもその考え方を間違いとまでは言わないけれど、相手を選ばなかった自分の事を馬鹿だと思っている。

かといって100%自分のためというのも、急には転換できません。でもね、与えたものを返してくれる人が一人だけいた。いうまでもなく神である『内なる存在』です。

神は波動が高く、ポジティブな存在である。ゆえに私が波動を下げたり、ネガティブな考えを持つことを喜ばない。それはむしろ神を悲しませる行為なのだ。断っておきますが、私はこれを真剣に書いています。元々は受け売りだけど、今はそうとしか思えないの。

神が喜ぶ以上に大切なことってあるのかな。

「私が神のためにできることってなんだろう」最近、そんなことばかり考えていました。結果、私が幸せ=神が幸せ、でもあるから、常に「幸せな思考」をサーチするようになった。こだわりが薄れてきたのは、そのせいもあるのかなと考えたりします。

 

ここしばらく、私は自分の感情を入れないようにして、ヒトを冷静に観察していました。そしてわかったこと。波動が高く、ポジティブな人は神の思考に近い。ごく当たり前にされたこと又はそれ以上のモノを返し、ごく当たり前に大切な人の幸せを願う。神を幸せにしている彼らが幸せなのは当たり前なんです。

ということは。私が自分を大切にする=神を大切にする=この人達を大切にすることにもなるんですよね。私が敢えて何もしなくても私が幸せであることが、神を、彼らを幸せにする方法だったんだ。なんか、繋がった気がしました。

神は偉大なり。