三か五か

いつからか、私はふと浮かんだ思考を「これは三次元(的思考)か、それとも五次元(的思考)か」と考えるようになりました。

五次元は自己責任の世界。

たとえば多目的トイレが改名されるかも、という話題について。世間は不適切な使い方をしたアノ方を絡めずにはいられないようだ。私は以前「グルメ王は関係者以外に迷惑をかけたのか」というようなことを書いた記憶がある。

だけど「迷惑をかけられた」と主張する人達は多数存在する模様。なんでも、あれ以来多目的トイレに入れなくなってしまったとかで。私は何も感じないけど、「気持ち悪い」と思ってしまう心情はわからなくもない。だからそれを否定はしない。

しかし、だ。問題のトイレならともかく、無関係のトイレで「グルメ王を思い出して入れない」なんてのは全く非現実的である。脳(記憶)に振り回されているだけなので、「多目的トイレに入れなくなったのはグルメ王のせい」なんて主張は責任転嫁もいいところなのだ。

こんなふうに、三次元的には理解できなくもないけれど、五次元的には全然理解できない、というジレンマに陥ることがよくあります。私はいつか、というか既に五次元寄りの割合が増えてきているので、このタイプの方々と関わることはなくなるだろうと思っている。

パワハラモラハラという言葉が周知され、国レベルで解決に乗り出したわけですが。パワハラモラハラが沈静化したら、今度はここぞとばかりに被害者ハラスメントが増殖するっていう。コントかよ笑

パワハラモラハラなどというものの中には色々な要因があるのだけども、「人を思い通りに動かしたい」という欲求は切り離せない。往々にして「自分を思い通りに動かせない」人が陥る病のようなものだと思う。

自分の要求を呑ませるための手段なのなら、恫喝も泣くのも同じこと。同じ波動のグループの中で立場が入れ替わってるだけなんだけどね。三次元はそんなことの繰り返しなんだろう。前進しない。