断捨離(物Ver.)-過去-

断捨離2週目を終えました。今週は45㍑の袋を1つとダンボール4.5㌔を捨てた。

だがしかし。ユニクロに誘惑されるがまま無抵抗に買った結果、現時点でのお買い上げ数は26点になりました(汗)ちなみに私のいう普段着とは、部屋着兼近くのスーパーへ行ける程度を指している。気が大きくなって「この際、お出かけ服も刷新してしまおう!」と思い立ち、総数38点もの服を増やしてしまうという失態を犯す。

でも今回は所有欲ではない(と思う)。出来るだけ同じテイストのブランドで纏めて、所有している服をエクセルで管理することにしました。これで「あら、こんな服があったのね」なんてことはなくなる(かも)。それにより今後は衝動買いをやめて、着回しを考えて買えるようになる(はず)。

なんか服に関しては断捨離っていうか、ただの総入れ替えのような気がするけど、到着した服と処分を迷っていた服を見比べると吹っ切れることもあるので、これはこれで良いんでしょう。なにより私が新しい服を着て気分を上げることは神の望みでもある。肉体を持たない『内なる存在』は、私を通して現実世界の喜びを感じているのだから。

 

ここ数日、エクセルで服を管理するため、画像をコピーし、購入日やら金額やらを遡って入力する作業をひたすらこなしている。そんなことをしてて気が付いたのは、「なんでこれを買ったんだろう」と疑問しか感じない服たちを買った時期が集中してるってこと。もちろん着てません。

当時の私は何を考えていたのか。日記によると、こんな心境だった模様。『信じて欲しい』

例外を除き、人の願望は尽きることがない。自作自演の願望実現ゲームだと頭では理解していても湧いてくる欲望を抑え切れず、その度に何かを乗り越える努力を続けるのだろうか。生きている間、延々とこれを繰り返すのかと思うとぞっとする。もう楽になりたい。

自分でも何を言ってるのか、ちょっとよくわかりませんね。 別に死ななくたって楽にはなれるし、乗り越える努力もしなくていいのに。それに私はもう「信じて欲しい」なんて思えない。信じるも信じないも相手の問題だ。ヒトの思考は過去の記憶と知識で出来ている。それらからくる感情や行動を他人はどうすることもできないの。

記憶に踊らされてる人間に、そんなことを求めるほうがどうかしている。だけど私も記憶に踊らされていた側だったから、求めちゃったんだろうね。当時の服たちと波動が合わなくて当たり前だわ。

「私はいつまでこんなことをしなければならないのか」 

「二年と数か月程度かな」過去の自分に、そう教えてあげたい。

 

私が無意識に断捨離を始めたのはこういう理由なんだと思う。物を捨てたいってより、過去の自分が選んだ物を捨てたいんだ。そういえば、私は年末に数枚の服を買ったのですが、その時から既に趣味が変化してました。