偏りの極み

ここ2か月ほど、潜在意識やスピリチュアルから離れていた。現実に反映しようとするのをやめていた、ということですが。

近頃はゴシップニュースのトップに君臨しつつある小林夫婦の話。あの夫婦もスピリチュアルな方々だそうだけど、スピのイメージを下げることには成功している模様。

なんでも嫁のほうはずいぶん前から子宮系と呼ばれるスピに傾倒していたらしい。子宮系といえばジェムリンガと呼ばれる、パワーストーンを連ねたモノを「入れておく」ことで有名である。普通にヤバい。

以前私はここで情報を遮断したのだが、更に「子宮の声を聞き、子宮に従うことで解放され、望むものが手に入る。」という考え方だという情報を得た。それは別にいいけど、「認知が歪んでいないこと」が前提だと思う。

実際、子宮系の教えに沿い、自分を解放した人達の中には、離婚や借金、果ては命を絶った人もいるそうだ。それが原因と決めつけてはいけないが、一因となったのなら理解できなくもない。

結局スピリチュアルってなんだろうな。

怪しい宗教もそうだけど、傾きすぎると一般社会からはみ出してしまう。それでは元も子もない。ちょうどいいバランスをとる、つまり中庸が大切なのだという結論に至った人の言葉に納得した。

がしかし。私がスピリチュアルによって目指した場所は中庸である。

「かたよることなく、常に変わらないこと」

ここに辿り着くまでには偏りの極みともいえるルートを通ってきたのだが。偏らないために偏らなければならないとは、冷静に考えるとおかしな話だ。

 

でも。この世はマッチポンプでできてるんだもの。