終わりと始まり

気が付けばあのスピリチュアル体験から1か月以上も過ぎている。年末近くから続いていた所用は今月の頭に終わり、やっと通常の生活に戻ったにもかかわらず、再び抜け殻状態で生きていた。

何も欲さず何も求めず、無味無臭で生きているのに疲れる。意味もなく疲れ切っているけど、頭だけは冴えて寝られない。それでも適切な睡眠時間をとっているはずなのに、日中は強烈な睡魔に襲われる。こんな調子だから仕事にも身が入らず、ありえない凡ミスの連発だ。幸い誰にも迷惑をかけてないとはいえ、流石に「これはないやろ」と自分に突っ込む日々。これが次元上昇に伴う痛みなのなら、早く解放されたい。

去年後半からの変化を時系列で振り返ると、まず金銭的・物質的な欲がなくなった。それから愛情(Iさん)への執着が消えた。スピ体験以降、エゴは姿を見せなくなったようで、みぞおちの違和感もない。そして家族とのわだかまりは昇華した。私が母に会いに行った数日後、兄弟からトイペの心配をするメールが来ました。私は母を気にかけ、兄弟が私を気にかけたのは単なる偶然か、無意識で繋がっているからか。

 

明日3月20日、私は特別目に見える変化は起きないと思っている。しかし人々の意識は確実に変化していて、多くの人に「気づき」をもたらすのではないかという気はしています。

正直に言うと、私は随分前から日本に失望しているし、日本人は真面目で勤勉な国民性だなんてこれっぽっちも思ってない。確かに昔はそうだったのかも知れないけど、いつからか「勤勉で真面目だと思い込んでるナマケモノ」が増殖し始め、短期間でそのエネルギーに飲み込まれた。だから日本人を「優れた人種」などと一括りにして欲しくない。優れた人に失礼である。

ついでに先進国だと思ったこともありません。強いていうなら先進国になり損ねた国。おそらく先進国となる要素は本当にあったのだろう。しかしそこへ向かおうとする努力をナマケモノたちが潰したのだ。甘い顔を見せてナマケモノを野放しにした結果、数字だけで取り繕ったハリボテの先進国が出来上がったのだと思っています。

新型コロナの影響で色んなことが浮き彫りになっていく今、日本という国と人間性に疑問を感じる人が日増しに増えていくのを眺めている。今なら私の言いたかったことが伝わるだろうか。反面で精神の二極化はスピリチュアルに興味のない人の中にも既に広がり始めていて、人間の可能性って素晴らしいなと思う。

地球の次元上昇に伴って私達の魂のレベルも上げなくてはならない、というのは当たり前のことなのかも知れません。しかしこれまた当然できる人とできない人がいるわけで。未知のウイルスが発生したという報道から約3か月、この間に何の変化も生じなかった人は今の低い波動に適合しているという証拠なのだと思う。

私はもう似非弱者に興味も関心もない。これからも「自己責任」という言葉は本来の意味とはかけ離れて、誰かの心に刺さり続けるのだろう。しかしそれすらも私は自己責任だと思っている。本当の意味を探る時間は充分にあったはずだもの。

あと5時間と少し。光の世界に思いを馳せながら掃除でもしよう。