終わりと始まりの日

3月20日アセンションの日、世界中で新型コロナが猛威を振るう中、日本(の一部)は描かれたワニに夢中だった。本当に平和な国だと思いました。

私は仮に中国の春節による大移動がなくても、クルーズ船を拒否していたとしても、感染拡大は避けられなかったと考えている。だからそこについては仕方ないのだけれど、問題はそのあとである。書き出すとキリがないので書きませんが、日本政府の対応に対して2月頭には怒りを覚え、中旬には呆れ、3月の頭に諦めた。自己愛達を見限った時と同じ気持ちだ。

しかしこの危機感の薄さが功を奏して、日本はパニックにならずに済んでいるのかも知れないと思えるようになりました。まぁ、ちょいちょい小出しにしてくる情報を見てると、故意にこの状態を作り出したわけではなくて、単純に色々とアレなだけのように見えるけども。とはいえ描かれたワニの死を悼むくらいに余裕があるのは紛れもない事実だ。

描かれたワニに共感し、死を悼むこと自体は全然悪くない。ただ。ただね、リアルでこんなにも人が亡くなり、こんなにも死が身近なものになっているというのにそれは他人事で、描かれたワニによってしか『突然の死』を想像できなかったところに底知れぬ闇を感じたのです。残念ながら未知のウイルスごときでは『日常の大切さ』を知ることができなかったということか。

そんな事を考える私も、相変わらず疲れが取れなかったので1日中ゴロゴロし、ワニの終末を見守る人達の心を見ていた。多数の人が感動の余韻に浸る間もなく経済を動かす仕組みを目の当たりにし、失望と怒りに取り替わる瞬間ってそう滅多に見られるものではないと思う。圧巻だった。『既存の価値観を根底から覆す』使者は絵に書いたワニだったのかしら(違)

ちなみに私はあの日に1話から一気読みしましたが、特に何の感情も湧きませんでした。それでも、死なせないために署名活動しようという人もいたようだし、毎日見続けてきた人が興醒めした気持ちもわかる。ですが、あまりの叩かれようにワニが可哀相になってきた。ワニはなにも悪くないのに(まんまと)

 

昨日から少し体が軽くなった。そして視界が明るい。だけど何の変化もないし、やっぱり空は飛べなかった。気づいたのは「日本は面白い」ということだけでした。