上澄み

自分が変われば世界は変わる、というが。

 

去年の秋に「ミステリと言う勿(なか)れ」という面白い漫画を電子書籍でまとめ買いした。それが今年の頭にドラマ化されたのだが。ある回の主人公の言葉は物議を醸したようだ。

「どうしていじめられてる方が逃げなきゃならないんでしょう?」

「欧米の一部では、いじめてる方を病んでいると判断するそうです」「いじめなきゃいられないほど病んでいる。だから隔離して、カウンセリングを受けさせて、癒やすべきだと考える」

「でも日本は逆です」 「いじめられている子に逃げ場を作って、なんとかしようとする。でも逃げると学校にも行けなくなって、損ばかりすることになる。DVもそうだけど、どうして被害者側に逃げさせるんだろう?」

「病んでいたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは、加害者の方なのに」

確かにな。しかしこの部分だけがクローズアップされて一人歩きするところが”いかにも”だと思った。

まだ続きがあるのだ。

「例えば歩いてて、知らない人にいきなり殴られたら、すぐ周りに言うでしょう? それと同じように、先生や親に『あいつにいじめられたよ』って、『あいつ病んでるかもしれないから、カウンセリング受けさせてやってよ』って、みんなが簡単に言えるようになればいいと思う」「そういう考え方にみんながなればいいと思う」

一番大切なのはここ。加害者よりも精神が強くなければいけないのである。

蔑みでも強がりでもなく、導く力が必要で。

上澄みをすくっていては自分も世界も変わらないのが現実。