「なにもしなくても上手くいく」とても魅力的ではあるが、楽しいばかりではない。己の行いと整合性が取れないことに脳が答え探しを始める。
努力とか我慢だとかが嫌いになっても、私の中にはまだそれらの残り香があるのだと気付く。こんなイカれた価値観はさっさと捨ててしまいたい、そう思った。
そーゆーのはエゴに塗れた三次元が大好きな人だけでやってればよい。
正月早々からお買い物運はより一層絶好調で。私は大した願望なんぞないから今で充分である。それでも「充足を見る」メソッドをやってみたんです。
「あれが欲しい、これが欲しい」渇望していた頃は充足なんて見れなかった。「今ない」から欲しいのに、今に満足できないからこうなってるんだ、と。
でもあれは自分の理解不足だったのだと思う。全てを等価値にするためなんじゃないかな。特定の何かに価値を与えるからそれは特別であり続ける。特別なモノは特別な存在でなければならない。
本当は、世界は優しいのに。
渇望を望んでいたのはあの頃の自分だったのだ。だから「叶っていた」