再確認

身勝手な犯罪者の裁判記事を読むたびに、自分のきょうだいを思い出す今日この頃。性悪説はある。生まれた時からどうしようもないクズは存在するのさ。

すると引き寄せた。きょうだいのほうから昔の話を出してきて。自分はひどい人間だったとか後悔しているとか、そんな言葉はもう私には響かないのに。

私が生まれてから「あんたなんか生まなければよかった」と言われ続けた事実を初めて聞いたわけですが。幼少期にそれはつらいかもだが、だからなんだ?って話。「愛に飢えていた」知るかよ笑

「ふーん。ほんであんたはそれを母親じゃなくて私に向けたんやな?」と聞くと、子供だったから仕方がなかったと言った。

んなわけねー笑!!それはさ、人間性の違いで。世の中の人全員がそうじゃねーよ。どんな世界に生きてんだと。

私はまだ「そこ」にいるきょうだいを愛おしいと思った。

そして己の自由を再確認するのだ。

暇つぶし

なんつうか。

「長いものに巻かれる人」を責め立てる人が多いけど。責め立てる発端が「長いもの」であることはてんで無視。つまり責め立てる人もぐるんぐるんに巻かれている。その矛盾を説明してくれよ。

この世界に聖人なんていない。「自分だけは違う」それが既に烏滸がましくて傲慢なのだよ。気付け。

この世はウソとダブスタと、あれやこれやでできているわけです。そんな世界が愛おしくもあるんだけど。

矛盾を受け入れられないから苦しくなる。なにより自分自身の矛盾が我が身を縛り付ける。そういうものじゃないのかな。

私は『人生は死ぬまでの暇つぶし』だと思うようになった。本当は、大変なことなんてなにもない。というかなかったのだ。

だから日記に書くことがない。

 

 

レッテル

「なぜヒトは幸せになれないのか」ではなく「なぜヒトは不幸になるのか」の答えをずっと探していた。この謎に終止符を打ったきっかけは、こないだ書いた女優さんの旦那氏だった。

ある種の人達にはあの会見が刺さり、蝋燭がバカ売れしたのち、過去の報道で謎の聖人扱いは一転するという、鮮やかな手の平返し。

そもそもなぜそんな現象が起きたのか。各々の脳で作られた妄想を基にレッテルを貼っていることに気付いてないから。事実と乖離している可能性をまるっと無視しているからである。

人間は見たいものを見たいように見ている。つまり世界は自分が作っているってことなんだけども。残念ながら三次元には妄想を現実として生きている人が半端なく多い。

要するに。(勝手な)妄想に対して不安になったり、喜んだり、怒ったり、悲しんだりしているわけです。「今を生きる」=「現実を生きる」ってことだったのだ。

 

ここで潜在意識の達人、詭弁氏の言葉を。

あなたの妄想が現実なんだから妄想で終わるとかいう感覚はそもそもおかしい。

現実なんてものはあなた方の妄想の残りカスなんだからぶっちゃけどうでもいいものなんだよ。意味なんてない。

(中略)

私が徹底的にやれと言っているのは何故かというと、現実を変えるために妄想を変えるのではなくて(それだと意味がない)、現実が妄想でできていると確信するためにやるの。

※「思考を変える」ことを徹底的にやれと言っておられます。

 

妄想の中で生きてる人の言葉に意味はあるのか。価値はあるのか。

少なくとも私にとっては、ない。

 

「若い時の苦労は買ってでもしろ」もうこんな言葉が通じる時代ではないのだと思う。

今はできるだけ苦労したくない、難なく最高の人生を歩みたいという傾向にあるらしい。言い換えれば最良・最善のモノを誰かから与えられたい、とも取れる。

いいと思いますよ。私も苦労はしないほうがいいという考えなので。

しかし。与えられるのを待つということは選べないってことだ。選んでないのだから、与えられたものが気に入らなければ、文句を言うしかないのである。

苦労した分の見返りがあるかというと、必ずしもそうではなくて。でも越える力は身に付くかもしれない。それもやはり自分次第なのだけど、もしも身についたなら人生は楽になる。

ヒトのまま恵まれたペットのように生きることはできるのか。ペットは保護の対象だから可愛いのであって、同じヒト同士ではそういうわけにはいかないだろう。

もっと優れた存在なら恵まれたペットのように生かしてくれるのか?たとえばいつかヒトを超えるAIとか?合理的なAIはそんなことをしないと思う。

ある意味、壮大な願望だよな。極限られた一部の人は別として。

世界が豊かになれば豊かさは当たり前になる。それでもヒトって夢を見ることだけはやめられないのね。

ヒトは夢を叶えるため、ではなく、夢を見るために生まれてくるのかもしれんな。

 

真面目

某女優さんの不倫騒動を見て。

まず私は他人の不倫なんぞどうでもいいし、虚像に人間性の高さなど求めていない。不倫しようが性犯罪を犯そうが薬物をしようが、気に入った作品なら変わらず観たり聴いたりしている。

なので大半のゴシップはタイトルだけ見てスルーしてるんだけど、今回は私信を晒されたからか流れが変わったように感じたので、興味を持って観察してみた。

個人的には不倫よりも「晒す」という行為が嫌いです。だから私信については「やりすぎ派」なのですが、批判派にとってはそれが擁護に見えるらしい。擁護=肯定とまで斜め上に飛躍する人もいてなにがなんだか。

そもそも論点が違うので噛み合うわけがないのだが。ほんで批判派は一体なにに怒っているのか。色々尤もらしいことを言っているが、大半の人からは「悪いことをした人間が許されることが許せない」という本音が見受けられる。

なら他人を叩きまくって追い詰めることはいいのかって話だよな。他人を断罪できるほどあなたは聖人なのかって。

そしてその裏には「真面目に生きている自分が報われない」ことへの苛立ちも感じる。なら真面目なんかやめちゃえば?真面目な人は真面目が普通なのであって、真面目を頑張るというのは不自然なのだよ。偽り。

善い人間になりたい。とてもいいことだけれど。それは他人を断罪して攻撃するための武器なんかね?だから報われないんじゃないの?「悪いことをした人間は許されてはならない」なら、そうなるわな。

赦しのない世界を選んだのはだーれだ。

 

下僕

3月の終わりからロシア語の勉強をしている。

キリル文字と呼ばれるロシア語のアルファベットが最初の難関だと言われるらしいけど。いうても記号を入れて33文字、複雑さでいえば漢字の足元にも及ばないだろう。

じゃあなぜここで挫折する人が多いのかというと、日本人は義務教育で英語を学んでいるから。同形異音がかなりのネックになるのだと思う。

たとえば英語Nがロシア語のHであり、PがRだったりする。И(イの音) というNの紛い物みたいなのはどうしてもエヌと読んでしまうし、Я をRと勝手に脳が認識する。 З や б に至ってはもはや数字にしか見えないのである。

要するに脳が混乱するのだ。(この時点に限って)頭の良し悪しは関係ない。肝は脳です。

思い込み、というか一旦脳にインプットされたものを覆すのは容易ではないなと改めて感じた。がしかし、脳の主人は私なので。下僕である脳に主人がコントロールされるなんて許されないの。

まぁ文字をクリアしたところで、やっぱりとんでもなく難しい(めんどくさい)から、早めに挫折しといたほうが良かったかなと思ったりもするんですが。

意外に脳は慣れるものだ。この体験は面白かった。

 

出口

広島サミットの時さ、久々のガチギレモードでして。その後めでたく皮膚病を発症いたしました。頭皮とか首とか耳とか、それぞれ違う症状でヤバい。

皮膚病をスピ的な視点から見ると「言いたいことが言えていない」「自分らしく生きられてない」「環境が合わない」などがあるらしいんだけども。

しかし私の実生活はそこそこ自由で平穏で快適です。上司のこともめちゃくちゃディスってるのに、本人めっちゃウケてて草。

なので人生の中で一番ストレスフリーと言っても過言ではない状況にあり、当てはまらなくない?とも思いますが。

「環境が合わない」これは大いに感じています。環境つっても対象が三次元なので、逃げようがない。どうすりゃええねん。

なんかさ。くだらないのよ。世界はなんでそんな必死なの?

どこかに出口があるはずだって思うんだけど、本当は出たくないだけなのかもしれんな。

今はまだよくわからない。