真面目

某女優さんの不倫騒動を見て。

まず私は他人の不倫なんぞどうでもいいし、虚像に人間性の高さなど求めていない。不倫しようが性犯罪を犯そうが薬物をしようが、気に入った作品なら変わらず観たり聴いたりしている。

なので大半のゴシップはタイトルだけ見てスルーしてるんだけど、今回は私信を晒されたからか流れが変わったように感じたので、興味を持って観察してみた。

個人的には不倫よりも「晒す」という行為が嫌いです。だから私信については「やりすぎ派」なのですが、批判派にとってはそれが擁護に見えるらしい。擁護=肯定とまで斜め上に飛躍する人もいてなにがなんだか。

そもそも論点が違うので噛み合うわけがないのだが。ほんで批判派は一体なにに怒っているのか。色々尤もらしいことを言っているが、大半の人からは「悪いことをした人間が許されることが許せない」という本音が見受けられる。

なら他人を叩きまくって追い詰めることはいいのかって話だよな。他人を断罪できるほどあなたは聖人なのかって。

そしてその裏には「真面目に生きている自分が報われない」ことへの苛立ちも感じる。なら真面目なんかやめちゃえば?真面目な人は真面目が普通なのであって、真面目を頑張るというのは不自然なのだよ。偽り。

善い人間になりたい。とてもいいことだけれど。それは他人を断罪して攻撃するための武器なんかね?だから報われないんじゃないの?「悪いことをした人間は許されてはならない」なら、そうなるわな。

赦しのない世界を選んだのはだーれだ。