自分の為に時間を使う

私は父親に「可愛げがない」と言われて育っています。人は本当に相手の為を思って行動した時に見返りを求めるでしょうか?可愛い笑顔で「ありがとう」と言われないと満足できないのなら、それはただ自分の為だと思うのです。

父は私の顔色を見て、欲しそうなものを仕方なく与えたのでしょう。それに対して思うようなリアクションが返って来なかった。自分は我慢して与えているのになぜ喜ばないんだ!と怒りに変わったんでしょうね。

私は他人の感情にとても敏感で、引き摺られてしまう癖がありました。お節介を焼いたり距離を詰め寄ったりはしませんが、他人が困っていると自分が我慢して済むのならいいかなといった感じです。本当は全然よくないのに。

嫌だ嫌だと思いつつ、無意識に親と同じことをしていたんですね。我慢をすることで何かを得るのは当然だと思いますが、私達のような考え方は自分のみならず他人をも苦しめるのです。

我慢をすれば報われる、それは正当な我慢だけです。自分を犠牲にする我慢は何も生みません。

それから私は人の顔色を見ないようにしました。見返りを求めるくらいならなにもしない方がいい。依存や過度な期待をしない代わりに、自分もある程度は見過ごす。

空いた時間は自分を幸せにすることを考えること、他人の為に使っていた時間を自分の為に使うことを目標にしました。