生きる手段だったはずが

人の顔色を見るのが一概に悪いとは言えないと思います。私の場合は義務感や押し付けられたもので、自発的にしているわけではないので苦しくなってしまう。

子供の頃はそれが生きる手段だったとしても、大人になると色々と問題が出てきます。

まず普通の人との信頼関係を築くことが難しい。そもそも普通の人は他人に機嫌を取らせたりしませんから、常に顔色を伺われると疲れます。卑屈に見えますし、一緒にいても楽しくないと思います。

こちらは精一杯相手に気を使っているつもりなのに、当然のことながら相手からは返ってこない。すると心のどこかで責めてしまったり被害者意識を持ってしまいます。

相手からすると望んでいないのに押し付けられた挙句、罪悪感を抱かされるような気になりますよね。そして距離を置かれたり離れていってしまう。

愛されて育った人を見ると辛いとか、妬んでしまうから付き合わないという理由もあるでしょう。しかし私は生きる手段が通用しないから付き合えなかったんじゃないかと思います。わからないから怖い。

生きる手段が通じる相手というのはやはり親に似た人であり、自分の行動が正しいと(錯覚ですが)思えるので、ある意味で楽なのかも知れません。この認知の歪みのせいで、自分から進んで親に似た人を選んでしまっていたんです。

 

怒ったりメソメソしたりして、人に機嫌をとってもらいたい人は感情の数値がマイナスです。こちらが機嫌をとった所でゼロになるだけでプラスにはなりません。対してこちらはエネルギーを奪われてゼロからマイナスになるのです。

悪い意味で人の顔色を見る人はこれと同じことをしているんですね。普通の人はゼロもしくはプラスなのに、必要ないものを押し付けてマイナスにしてしまう。

与えたつもりが実は奪っていた。