突然の気付き

先日、ある進学校に通う女子高生について興味深い話を聞いた。

彼女は成績も良くスポーツ万能、幼い頃からの夢を叶えるために日々努力しているという。比較的裕福な家庭の一人っ子で、親は学歴に拘っておらず彼女の生き方を個の人間として尊重する人。

交友関係も良好で劣等感などとは無縁であり、誰かの為でなく自分の意思で生き方を選択できる環境にある。特にこれといった悩みも見当たらないのですが、何故か他人の顔色を見すぎてしまうというものでした。

本人もどうしてそうなるのかわからず、自分を持て余しているらしいのです。そして見ている周りも辛いのだそう。私はそれがとても気の毒に思えて、さりげなく彼女の性格について探りを入れてみたのだけど、どうもエンパスの特徴が多く見られました。

しかしスピリチュアルに縁のない方にエンパスの事を伝えるのは難しいので、その場では何も言わなかった。

 

彼女の性格と自分を重ねて色々考えているうちに、ふと疑問が湧きました。私はこれまで毒親育ちだから他人の顔色を見るようになったと思い込んでいたけれど、本当にそうだったのか。

私は幼少期から親の本音を見抜いていたし、小学校低学年の頃から友達の嘘も見抜いていた。例えば人気者になりたいという理由で嘘を付く子供はいる。一時は持て囃されたとしてもすぐにわかるものだけど、私は嘘を付いた本人の気持ちを察知してしまうのでした。

嘘を付かなければいけない理由は淋しさだったりするのだろうけど、嘘を暴くことは相手を否定することになってしまう。だから嘘がばれた事によって周りの友達が離れていっても、私はずっと信じたふりをしていた。自分も苦しいんですが。

つまり私はエンパスだから必要以上に親の顔色を見ていたんじゃないかと思う。もしエンパスでなければACになっていないかも知れない。

エンパスは他人の感じていることを自分のことのように感じてしまう。それでつい先回りしてしまったりと自分にとっては辛いことの方が多いです。

もう親の事はどうでもよくなっているのだけども、ACで悩む人々の中にエンパス体質の人がいるなら少し気持ちが救われる事はないだろうか。

相手の期待に応えられないのは自分のせいではない。自己主張をするのは悪いことではない。他人の感情を読みすぎるのは普通ではないのだから、見ないふりをすることも大切なのです。そこに罪悪感を感じる必要はないんだと気付いて欲しい。