正しさ

ACは正しさに捉われる傾向があります。そして、良いか悪いか、敵か味方かという極端な白黒思考に陥りやすい。過去の私もそうでした。

散々書いていますが、私は自分の正しさを証明するために、近付いてはいけない人に近付いていた。そして無意識のうちに、誰彼構わず自分の正しさを押し付けていたような気がする。

鬱病の彼の家庭環境は、どうやら機能不全である可能性が高くなってきました。自分から少し話してくれ、自覚の有無は定かではないけど、上記の特徴は多々見られます。

今の率直は気持ちは、彼といると息が詰まりそうだ。自分の正しい主張に賛同されなければ不機嫌になる。最初から他人の意見など求めていないし、異なる意見は受け入れるつもりなどないのです。すると相手はその場をやり過ごすために、受け入れたフリをするしかなくなる。

私自身も、他の人を見ているのも辛い。しかし自分の経験からすると、この微妙な空気を一番感じているのは本人です。相手が本心から納得していないことも、合わせてくれていることもはっきりと気が付いている。けれど正しさを主張することをやめられないのです。

そして、面倒くさいと思われていることに怒り、自分の正しさが理解されないことへ不満を持ち、自分が受け入れられていないことに傷付いてもいる。周りからすれば自分勝手で迷惑な話なのですが。

しかしながら彼を通して過去の自分を見て、受け入れられなくて当然だったと今は思います。自分の正しさを押し付けるという行為は、相手を全く尊重していない。相手に嘘を付かせ、心理的に負担をかけているのです。その場にいながら相手を見ていないのだから。

 

私はいつしか正しさを主張することが減った。自分の正しさと人の正しさは違う。問題が起こっても解決すればそれでいいわけで、誰の意見であってもかまわないのです。

そして正しいことだけが全てではないと考えるようになり、どうでもいいと思うことがとても多くなりました。日常で起こる大半のことは下らない。

正しさを主張していた過去の私が今の私を見たらきっと許せないと思う。もっと真剣に人生を考えろとか、なんでそんなにヘラヘラ笑っていられるのかとか。かなりイラつく存在だっただろう。

それに対し、今の私は過去の私に、ではなぜあなたの正しさは受け入れられないのか?と問いたい。正しさを押し付けることこそが正しくないことだからだ。それはもう立派な攻撃である。

別に私は人生を投げ出しているわけではありません。楽に生きるために、要らない荷物を捨てた結果こうなったのです。

正しくないことは上手くいかないようになっている。