自己愛と器

私が入社した時、ちょうど変革の時期だったのだと思います。

それまでは、ほぼ一つの部門だけで成り立っていて、現状維持もしくは先細りになる可能性が高かった。なので新たな部門に営業を移して開拓する計画を進めていたのです。

自己愛は元来技術者であり、営業向きではないと自分でも認めていました。そして私はリスクの少ない既存の営業を引き継ぐことになりました。

それから売上も利益も順調に右肩上がりで、安定したと言えるかもしれないここにきて、こんな事になるとは思わなかった。 

 

これまで自己愛の手足になって働いてきたのだから、どれだけ仕事の重圧を受けているかは一目瞭然でした。弱音を吐いた所を見たのは初めてだったと思う。

でも私は自己愛を見捨てた。不思議と罪悪感は感じませんでした。

おそらく泣き落とし作戦だと思うけれど、なぜこうなることがわからなかったのか。自分にどれだけのキャパがあると思っていたのだ。

 

人間は人によって抱えられる量が決まっていると思う。それが器の大きさなのかもしれない。器に穴の空いた人は論外として、得る物が大きいほど同時に器を大きくする努力をしなければならない気がする。そうでなければ決壊してしまうんだと思い知らされた出来事でした。