以前書いたメサコンちゃんに「(私)さんに私の気持ちはわからない!」とキレながら泣き喚かれたことが何度もあります。そして当時の上司からも自己愛からも「頑張ってもできない人の気持ちを考えていない」とのお言葉。結局あれは何なのだろう。
私は十数年も家事が好きになれないことで悩んでいる。頑張っても思うようにできない気持ちがわからないはずがありません。
けれどそれは自分の問題で、家事スキルの高い人を目前にしても比べる気にはならないし、ましてや足を引っ張ろうなどとは思えない。憧れはするけども。
メサコンも共依存も「必要とされたいけれどされない」という劣等感があります。そしておそらく彼女達は私が必要とされている所だけを見ているのでしょう。
私は営業なので必要とされて当たり前なのです。それでご飯を食べているのだから、顧客に必要とされない営業なら居る意味がないとも思っています。これも自分に対しての考え方で誰かに押し付ける気は毛頭ないです。
しかし彼女達は営業ではないのがモヤモヤする。同じ仕事をしているなら何か教えられる事があるかも知れないけれど、比較の対象にするのは違うのではないか。彼女達の言い分を私に置き換えるとプロの料理人に噛み付くのと同じなんじゃないかと思う。
例え同じ立場で優れた営業さんがいても妬むこともありません。目に見えるか見えないかの違いだけで、結果を出す人は必ず努力している。努力しても敵わないなら自分の実力がそれまでだということだから。これに関しては無駄に強気。
この考え方が「気持ちがわからない人」に繋がっているのかも知れません。しかし「自分が嫌い」という言葉から推測するに、多分彼女達も私と同じで本当に許せないのは自分自身なのではないか。だとすると私が彼女達を傷付けたのではなく、勝手に傷付いているのです。
自分と他者の考え方は違うとわかっています。けれど自分の劣等感を脳内で変換し、正当化して他人を引き摺り下ろすような気持ちなど理解したくない。
私は何に悩んでいたんだろう。