過去の下書きで公開していなかった内の1つ。以下1月15日の下書き。
家庭内でダブルバインドの状況におかれると、家庭外もそのような世界であると認識し他人に対しても同じように接してしまうようになり、3つの症状が現れるらしいのです。
その内の1つ、「言葉に表されていない意味にばかり偏執する」私はこれに該当します。言葉では許し態度では拒否するパターンで育っているため、言葉を信用することができませんでした。なので顔色を見て言葉の裏を読む癖がついているのです。
それに加えて家族と同じように不幸でいなければならず、家庭の中は妬みや僻みで溢れ、幸せや喜びは悪だと常に態度で示されています。私が他人に褒められるのを嫌い、羨ましいと言われるのが怖いのはこのせいだと思う。
私が初めてこれに気が付いたのは中学生の頃でした。肌が綺麗だったことを友達に褒められ「羨ましい」と言われた時、私は肌が綺麗なのは良くないと認識したのです。それまで意識した事もなかったのに「私の肌が綺麗だと○○ちゃんが傷付いてしまう」という理由。
今考えると友達は傷付いてもいないし妬んでもいなかった。純粋にそう思ったから口に出しただけだと思うけれど、こんなふうに勝手に邪推してしまうのでした。
他人より優れてはいけない精神が染みついていたのでしょう。肌に関しては生来のものなので優劣のつけようがないのですが。
この友達とは20歳位から疎遠になり、数年に一度電話で話す程度になっています。先月の終わり、8年振りに彼女から連絡が来ました。
人生の転換期には懐かしい人に会う(連絡が来る)と書きましたが、その理由の一つは「自分自身を内観するため」に行われるのだそうです。これからの人生の乗り越え方を提示する重要な役割を担った人かも知れないとも。
過去の自分を振り返り、今後どんな思考で人生を歩むべきかというメッセージが含まれているとしたら。
私のブロックは多分ここにあるんだと思い、色々あがいているけれどまだ外れない。