人生と似ている

トレードに躓き出したきっかけは、私にしては大きな含み益を飛ばしてしまった事だったと思う。思いがけない急落により、手にするはずだった利益が失われるのを茫然と見ていた。

現実的に考えると思い掛けない事などほぼありません。リスク管理が出来ていなかった自分の責任です。だけど私は「”やっぱり”欲しい物は手に入らないんだなあ」と思いました。

それからは暴騰直前で売り、手を出せなくなるほど上がったチャートを眺めるだけの繰り返し。私がおかしいのは、どちらかというと含み損がある方が精神的には落ち着いているという事。

もちろん精神的苦痛はあります。しかし手に出来ないなら、上がる希望が少しでもある方が幾分楽な気がするのです。

利益を得られないトレードは本当に意味がない。それなのに私はやめられなかった。その度に私は何も手にしていないことを再確認するのです。そもそも私はお金を得ようとしてトレードを始めたはずだったのに。

それなら例え僅かでも節約してトレードに回せばいいのに自らお金を捨ててしまう。自分が何をしたいのかわからなくなっていきました。

 

幼い頃、思うように欲しい物が手に入らなかった人は、大人になって「手に入れるだけで満足」する傾向が強いという。

中には恋人や配偶者のいる人ばかりを選んで、手に入れると冷めるという人もいます。それは兄弟と親の愛情を取り合い、心の傷と満たされない気持ちを持っているのが原因の一つというのも興味深かった。

 

私のトレードのやり方は私の人生とよく似ている。