私の価値

私は子供の頃、欲しい物を手に入れる事ができなかった。経済的な理由が一番ですが、欲しい物を我慢できなかった兄弟のしわ寄せが私に来ていたのです。

兄弟は望むものは絶対に手に入れる。聞き分けがよく我慢もできる私は「我慢しなさい」の一言で終わらされてしまう。例え買って貰えるとしても、何かの賞を取ったり成績が良いなど、必ず条件が付いてきた。その時の事を未だに忘れることができません。

ただ他の出来事と違うのは親に怒っているのではなく、静かにそこにいる。怒りの矛先を親ではなく、お金に向けていたからです。

私はお金そのものを得ることよりも、手に入れるという事実に執着していたのだと気付きました。本当は好きだけど手に入らないから嫌いという気持ち。

去年の5月に「このままではいけない」と思いトレードを中断した。そして料理を作るようになって、無駄な食材を買うこともなくなりました。

 

大きな贅沢は出来ないけれど欲しい物は買えるのに、私は一体何に拘っているのだろうと、子供の頃の事をずっと思い出していました。

兄弟はどんなに高価なものでも、親が最終的に根負けして買い与えられていた。物を与えれば大人しくなるんじゃないかという期待もあったのかも知れませんが。

ワガママ放題で努力しなくても手に入れて使いもしない物は数十万。対する私は欲しい物を手に入れるために苦手な事も克服しなければならない。約束を守り、親を喜ばせてやっと手に入れたものは5千円。

私は欲しい物を手にした喜びより、私自身と私の努力の価値がたったそれだけだった事が哀しかったんだ。