回帰

私は若かりし頃に一度だけ同棲した経験があります。

お互い一目惚れで、出会ってすぐに盛り上がってしまい、今すぐにでも結婚してしまおうという勢いでした。それを止めたのは私の母親だった。彼が地元の人ではなかったので「どこの馬の骨ともわからない男と結婚なんかさせられない」という理由でした。

それでひとまず同棲という形になったのですが、私達は当然子供が出来ることも想定していました。積極的に作る気はありませんでしたが、もし出来たら籍を入れようと考えていた。当時の私は若さゆえ、子供を持つということに何の怖さも持っていなかったのです。

私達は3年弱で別れ、結局子供が出来ることはありませんでした。10代前半の頃、産婦人科で「少し子供はできにくいかも知れない」と言われたものの、決して珍しい症状ではなかったので特に気にしてはいなかったのですが。

しかしその彼と次の彼女との間にはあっさり子供が出来たのを知り、原因は自分にあると確信しました。当時20代半ばだったと思いますが、特にショックは受けなかった。この頃にはもう子供を持つ事に怖さを覚え始めていたからです。

 

子供を産むというのは、一人の人間をこの世に送り出すという事です。親がなくても子は育つと言いますが、それは事実でもあり間違いでもあると思う。育つことと幸せに生きるというのは全く別の物だから。

私はもし自分が子を持つなら、たった1度でも「生まれてこなければ良かった」と思わせたくなかった。綺麗なものだけを見て「この世に生まれて良かった」と思える人生を歩んで欲しいと思っていた。絶対に劣等感を感じない環境と人格を与えてあげたかった。

しかし、まだACの自覚はなかった私でも、自分にその力はないとわかっていました。例えどれだけの力があったとしても子供が幸せと感じるか否かは本人次第で、完璧な答えはないと思う。だけど答えがないからといって、運まかせのように子供を産むのは自分のエゴでしかないと考えていた。

自分の考える母親像と私の母親には全く接点がない。母には子供を育てるという意味が理解出来ていなかったのだと思う。私の言っている事は理想論であり現実的でないにしても、私が母から貰ったものは命だけ。この世で生きるための基本的な人格を育てるどころか破壊したのだから。

私にとって家族は血の繋がった人達、特に母は単にお腹を借りただけの人だと思っている。私に生き方を教えてくれた母親はソウルメイトのNさんだけです。Nさんには子供がおらず、出来なかったのかどうかもわからない。もしそうだとしたら、私は誰かに産んでもらわなければNさんには会えなかったんだ。

Nさんには魂で繋がった子供が3人いると常々言っていた。例え会えなくなってもそれは一生変わらず、それ以上増えることもないのだと。その内の1人が私です。

私はNさんに選んでもらったことを誇りに思っている。その反面、未熟さゆえにNさんの気持ちを汲めず傷付けてしまったことを今になって後悔し、自責の念に駆られる時がある。

しかし、見返りを求めず私の幸せだけを願ってくれたNさんへできる恩返しは、彼女が作ってくれた私を大切にすることしか今は思い付かない。