劣等感の恐ろしさ

私が自分自身で嫌だと思う部分は割とささやかなものだと思う。劣等感を感じるとしたら学歴と家庭環境しかありません。

私は高校を中退しているので最終学歴は中卒になります。ですがこれについては自分が考えて決めた事で、とにかく早く家を出るためには高校に通う時間が惜しかったから後悔はしていない。

高卒と同等の学力があると認められる高認を受けずに今まで生きてきたのも、別に必要性を感じなかったからだと考えている。自分の性格なら必要だと思えば受けているはずだと思うからです。

自分が中卒なので他人の学歴も気にならないし、何なら小学校しか行かなくても別にいいとも思う。だけど世間の大半は好意的ではないという覚悟だけはしておいた方がいいです。

私は学歴についてあまり劣等感を持ったことはないですが、申し訳なさを感じる事は多々ありました。高卒者はおろか大卒者まで自分が指導する立場になった時に「自分でいいのだろうか」と悩んでいた。

学歴が関係のない業種なら何ら不思議ではないけれど、「中卒の指導なんて受けたくないよ」と言う人がいて当たり前だからです。隠すつもりはなくても学歴を伝えておらず、後になって知った時に蔑みの目を向けられたことも実際ある。

なのである時から、できるだけ最初の方にさり気なく中卒であることを伝えるようにしています。それで態度が変わるようなら指導を降りる。人間は見下したり馬鹿にしている人の言う事なんて聞きたくないものです。学歴で先入観を持つ以上、私の指導はほぼ耳に入らないと考えている。

対する私はそういう人がいても非難もしないし何とも思わない。だけど「中卒に指導されるのは嫌」という不満がある限り、私が時間と労力をかけても対等な人間関係を築くのは難しい。指導という形で関わるだけでお互いが不幸になる。それは嫌だ。不毛な争いはしたくない。

そうしていると残るのはこだわらない人達だけになります。思っていても態度に出さないだけかも知れませんがそれはそれで構わない。もし私が劣等感を全開にしていたら普通の人間関係は築けなかったと思う。昨日の記事のように劣等感をぶつけて人を傷付けていたかも知れない。

劣等感の恐ろしさは、そこに他人の意思がなくても発生するところだ。「見下された」「馬鹿にされた」と本人は感じているだろうけど、実際に何かされたのでも言われたわけでもないのに「起こった」ことになっているのが現実だったりする。

劣等感は被害妄想を引き起こします。するとただただ面倒くさい人に成り果てる。いわれのない言い掛かりをつけられて加害者扱いされた人は、いつか相手を見下すようになる。そうして本当に馬鹿にされるようになるのだと思います。

まさに見下される世界を自分で作ってしまったパターン。自分を馬鹿にしているのは世界の誰よりも自分自身なのに。