「甘える」とは

以前に、(ツインレイの女性は)自分の中の女性性を受け入れ、自然と女性らしい振る舞いができるようになった結果→モテるという説がある、と書きました。

女性性とはなんぞやということですが、私は昔から女性らしく甘えることができませんでした。そもそも「女性らしく」という言葉が大嫌いだった。

父親からは「可愛げがない」と責められ、過去の恋人からは「もっと頼って欲しい」とか「もっと甘えて欲しい」とか出来もしないことを要求される。一緒に働く女性からも「男の人は頼られると嬉しいものだから、もっと頼った方がいいよ」と口々にアドバイスされる始末。

私は過去にアルバイトで水商売をしたことがあります。知人の店で人が入るまでの繋ぎだったり、友人の店で急に女の子が休んだ時に単発で入る程度ですが。有難い?ことに客受けは良くて本職に誘われたり、お客で来た他店のママに「うちで働かない?」と口説かれたりもしました。

だけど私にはあの仕事は無理だった。ある一人のお客様に「あなたは男を馬鹿にしている」と言われたことがあるのですが、とても鋭い指摘でした。私はお金で自分の機嫌を取って貰って喜んでいる男性を、心の底では仰る通り馬鹿にしていたからです。

随分前にツインレイの女性が似たような事を書いているのを見て、安心した記憶があります。そういう女性は意外と多いのかも知れない。私は甘えられなかったのではなくて、内心で馬鹿にしている男性に甘えたくなかったのだと思う。

ですが普通の女性のようになりたくて「甘えなければ」と試みた結果、様々な要因が重なり依存という最悪な甘え方になってしまったのでした。

私が心から「甘えたい」と思ったのは勿論Iさんが初めてで、女性として扱われることを嬉しいと思ったのもIさんが最初でした。

あれから月日が過ぎて、頼られると嬉しいという男性心理が少し理解できるようになりました。なぜ男性は女性から頼られたいのか。それは男性であることを実感できるからだと思うのです。

承認欲求は基本的な欲求であり、「困っている人に頼ってもらえないと、自分が頼り甲斐のない人間と見做されていると感じ、不満に感じる」ものらしい。

なので男性が手を貸そうとしてくれた時には有難く受け入れるようになった。これは男性に限らず女性もそうで、他人に(いい意味で)甘えることに抵抗が少なくなりました。甘えるという行為は他人を幸せにする事もあると知ったからです。

甘えるといってもベタベタしたり、相手の都合も考えず我を通したりすることではありません。素直に相手の力を借りる、差し出された手を握り返すことなのかなと思います。私に限っては、こうした理由が”モテる”に繋がるのだと考えている。

 

前述の承認欲求についてですが、自分の欲求に気付いているか否かで大きく変わる。気付かない場合は拗らせて他人に要求をぶつける面倒な人になります。そうした人を上手く利用する方法もあるので一概に悪いことではないですが。

でも私はこれからも、そういった人に甘えられるような気がしない。となると承認欲求の強い人との軋轢は避けられないと思うけど致し方ありません。