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新しいお財布は箱に入れたまま、こんな物↓やカエル(帰る)の水晶と一緒に仕舞っておりました。いつ買ったのかは定かでないけど、視覚的にお金に慣れるとかなんとか読んで買った記憶はある。効果は…ですが、せっかくあるのでこの際一応。

先月の26日の満月には箱のまま窓辺に置いたりしつつ(満月のお財布フリフリの代わり)、31日の一粒万倍日に久々の対面を果たしました。逆算すると30日がちょうど2週間なのですが、買った日もたまたま一粒万倍日だったので、とことんこだわってやろうと思い。

先日の神社ミッションで358の新札をポイしてきたのですが、セコい私は一万円より358のお札に未練がありありな上、手に入る確率も気になったもので30万円を下してきました(震)結果は358が2枚、意外と少なかった。あとは縁起のいい数字もありませんでしたが良しとします。

その中から綺麗なお札を選んで、貯めておいたお金と共にインして、再び寝かせています。私はこれまで長財布を使ったことがほとんどありません。あまり現金を持ち歩かないため、開けた時に恥ずかしいからです。なので自分の財布に、こんな大金を入れたことがなくて困惑している(汗)

 

私は自己愛達を観察していて、どうして大好きなお金と地位があるのにそんなに不幸なのかとずっと疑問に感じていた。そして私の母はどれだけのお金があれば幸せになれたんだろうかとも考えたりもした。

私自身もお金があれば幸せになれると思っていた。金額的にどれだけという事はないけれど、少なくとも(当時の)今よりは幸せになれるはずだと信じて疑わなかった。だけど、その頃から私の収入は変わっていないのに、今の方が遥かに幸せだと断言できる。

潜在意識系や引き寄せの法則では、単に「お金が欲しい」という願いは叶いにくいと言われています。具体的に何が欲しいのか、何に使いたいのかを明確にすることが大切だとも。

それから、お金を必要とする目的について。お金を持つことによって得られるもの。他人からの尊敬であったり羨望といった他人の軸を基準にした動機の場合もそう。それはお金を持つ事が手段であり、目的とはかけ離れるからだという。

そしてお金を得たとしても幸せを感じにくい。以前は理解できなかったのですが、私は彼らからそれを教えてもらいました。お金があれば本来幸せであるはずなのに、なぜ他人の不幸を望み、幸せを許そうとしないのか。それは自分の本当の望みが叶っていないからだと思われる。

「こうありたい自分」と「本当の自分」が乖離している事に本当は気が付いている。だけど「ない」という現実を直視できないんじゃないだろうか。「こうありたい自分」は「ない」意識から生まれるのだけど、「ある」フリをしている。

私もあの頃、うっかり大金を手にしていても今のような気持ちにはなっていないと思います。私の幸せはお金で埋められるものではなかったから。もちろん「ない」よりは幸せだけれど、自分にとって本当の幸せはお金に関係なく「既にある」

「今、ある」という考え方はとても大切なものとされていて、”1円しかない”と”1円もある”とでは意識に大きな違いがあるといった例え方がよく使われる。けれど現実には1円しかないわけで。いくら”1円もある”と思い込もうとしたところで現実は変わらない。だって「ない」んだもん。

フリはフリでしかなく、思い込みは思い込みでしかない。「ない」という無意識から逃れることはできないのです。

実際、1円で買えるものはないから「ない」。だけど価値の問題ではなかったんですね。今、目の前にある1円は確実に「ある」。目の前にある小さな「ある」に気付くことが大事という意味だったんだとやっとわかりました。

お金だけでなく、愛も人も「既にある」。上手く説明できないけど、「ある」は大事。