Iさんの話45~育て直す~

先日Iさんに会いました。前回と同じように彼は落ち着いていたのですが、私達は何かが変わってしまったのかなと、ふとそんな事を思いました。

私はある時期まで彼を拠り所にしており、具体的なイメージは持っていなかったものの「彼に幸せにして欲しい」と、どこかで漠然と願っていたのかも知れません。だけど、もうそんな気持ちは消えてしまった。冷めたのではなく、私はきっと彼を愛している。でも現実の彼よりも、もっと深い所を見ているというか。

おそらく、自分の中にあった”愛されれば幸せになれる”という価値観が崩壊したせいだ。たとえIさんが目一杯の愛情をくれたとしても、私に受け取る器がなければ幸せを感じることは出来ない。私が自発的に幸せになろうという意思がなければ、彼の優しさも思いやりも無いに等しいのだと思うから。

 

Iさんは相変わらず私の言葉を優しく促してくれる。それはいつしか当たり前になってしまっていたのですが、立ち止まって今の景色を眺めると、随分遠くまで来たんだと実感する。私がIさんに出会った頃はまだACの闇の中にいて、他人に自分の気持ちを伝えることすら困難だったのに。

自己愛と戦った日々も含めて、あの生き辛さはどこに行ったんだろうと思います。というか、どうしてあんなに生き辛かったのだろうと逆に不思議な気持ちになる。今は誰かに理解して欲しいとも思えない。精神的に他人を必要としなくなったからか、それともそれは既にあるからなのか。

私はずっと自分の正しさを認めて欲しいと願っていたけど、認めて欲しい相手の選び方と、それを押し付けたのが間違いだっただけで、やはり正しかったのだと確信している。今となっては正しさすらどうでもいいことですが。

私の家族は言葉を操れないから、自分の望む事も嫌な事も絶対に口には出さず、態度で示して相手をコントロールしようとする。「ありがとう」は優越感を抱かせ、「ごめんなさい」は服従の証という歪な家庭。私には暴力を振るわれるよりも”伝えることの大切さ”を知らずに育ったことの方が遥かに大きな問題だった。

その中で育った私は本音を押し殺すようになってしまったからです。本当は私の言葉を聞いてくれる人はたくさんいたし、もしかしたら待っていてくれたのかも知れない。けれど「私の言葉は聞いてもらえない」と決めつけていた私は、怒りという手段でしかぶつける事が出来なかった。結果として親と同じ種類の人間になってしまったのでした。

私はあの頃、自分の意見を言えず我慢ばかりしているという被害者意識でいっぱいだった。だけど我慢していると認識している時点で、我慢はできていない。自称「我慢している」人が意に反して我儘だと思われるのはここに原因があるのだと思います。

譲ると決めたなら潔く諦める、言わないと決めたなら潔く忘れる。自分の意志に責任を持たず、我慢したふりをしてどこかで気付いて欲しいと願うのは自己中の極みだ。自分の意志を伝え、妥協点を探すなり意見を摺合せるなりといった具体的な解決策を取らず、勝手に期待して裏切られた気になられても相手からすれば「知らんがな」で終了である。

そして私は今、「知らんがな」という側にいる。過去の自分がそうだったからといって、そこに属する人に同情も出来ないし理解するつもりもありません。私は同情し、理解しようとしたから闇に引き摺りこまれたのだと思っているので。誰かに救われている間は自分を超えられないのかも知れないし。

”自分を大切にする”とか”我慢をやめる”とか”自分を愛する”とかの受け取り方を間違えると、本能のままに生きることになります。あの類の言葉は決して簡単に楽になるためじゃない。自分に都合のいい方へ受け取ってしまえば自滅しかねないとも思っている。それらを正しく受け止めて理解するのには、やはり認知の歪みを正すしかなさそうなのだけど、どうすればいいのかという答えは出てこない。

ただ、愛されたいより愛したいと思える人に出会った時、人は本気で変われるんじゃないだろうかと考えている。私がかつて望んでいた愛は、自分は変わらずにまるごと受け入れてもらいたいという幼稚なものでした。だけどIさんは私を育て直してくれ、誰にも寄りかからずに生きる力をくれた。それが愛でなくてなんなのか。

私にとってはIさんの存在そのものが愛だと捉えている。だから異性であるとか条件だとか、そんなのは取るに足らないものなのです。