離脱

心の中はまだ少々ゴタゴタしていますが、自分ではGWを境に強くなったと思っている。ここで色んなものを垂れ流しながらも、以前のように問題の中にどっぷり浸かる事が減った。嫌な出来事で感情を揺さぶられても気持ちを立て直すのが早くなったからです。これは掃除の効果のみならず、死に対する覚悟が出来たからかも知れない。

GWの最中、たまたま安楽死についての記事を見つけました。なぜ日本は安楽死を認めないのか?ちゃんと意味があるのだろうけど認めないなら理由を知っても意味がない。ただ個人的には死を選択する権利だってあるんじゃないかと思っている。連日のように電車が止まる現状を考えて欲しい。

ところでスイスでは日本人でも約150~200万程度で安楽死ができるのだそうです。ちらっと見ただけなので詳細は把握していないものの、とにかく私はその見出しを見て不思議と希望が湧いてきたのでした。いざとなればスイスにいけばいい!(キラッ)と。

死にたいほど苦しいわけでも困っているわけでもありません。私は今、何かの理由があって死にたいのではなくて、いつでも自分の意思で人生を終わらせることができるという安心感が欲しかったんだ。ゴールを自分で決められるなら、道のりは大きく変わってくるのではないか。

どうして「人生が苦しい」と考える人の人生は苦しいのか?生きたくなくても生きなければいけないからだろう。「仕方なく」生きるためには、あらゆる苦悩を「仕方なく」我慢するしか方法がないからだと思う。まだ起こってもいない先々への不安を感じてもしょうがないと頭ではわかっていても、そう簡単に割り切れるものではないですから。

しかし、いつでも好きな時にゲームオーバーできるとしたら、逆に希望を持って生きる人が増えやしませんかね。下らないしがらみから解放されて、自分らしく生きる事ができるんじゃないだろうかと。少なくとも私はそう思いました。(犯罪はダメだよ)

後先を考えたら、理不尽だけど耐えた方がいいだろう。思っている事を言いたいけど、関係が悪くなるなら我慢するべきだろう。そうして似非弱者の意見だけがまかり通る、そんな連続の人生なら私はとっとと終わらせてしまいたいです。

もし私が消えたら「そうは見えなかったけど、大きな悩みでもあったんだろうね」と言ってもらえるかも知れませんが、それは生を選んだ人だけの推測だ。特に悩みはなくても面倒くさいから消えますって人もいると思いますよ、実際。『幸せ』とか『支える人』とか頭に浮かびがちだけど、それらとは次元が違うから関係ないんだよ。

実行するかしないかは置いといて「いつでも死ねる」未来は魅力的だ。私が会社を去る事も現実的に考えられるようになりました。食べていかなければならないし、今更転職も面倒だからという理由で思考停止したまま先延ばしにしてきた。しかし食べていけなくなれば死ねばいいという安心感だけで心が軽くなる。

とはいえ衝動的に動くつもりもありませんけど、決定的なきっかけがあれば、もう我慢は出来ないと思う。無駄な我慢なんかしたくない。顔の筋肉を鍛えているせいもあるのか、GWが明けてから日に日に顔付きが変わっていくのを自覚している。人からどう見えているかは不明ですが、自分では自信に満ち溢れているように見えます。

多少良心との葛藤があるだけで、他人からの評価は今の私には意味がない。

自分の意思で死を覚悟した人間は、必要以上に他人を欲しないだろう?一緒にスイスに行けるわけでもあるまいし。私がスイスに向かう時に持って行けるものは記憶だけ。どうせならいい記憶だけを持って行きたいじゃん。その時に記憶から抹消したい人って、逆から見れば今要らない人なんだよね。

自分の名誉の為にもう一度書きますが、私は全然苦しくないし困ってもいない。ついでに病んでもないです。スイスはあくまで保険のようなもので。

嫌な事を徹底的に避けて生きていきたい。我慢を美徳と考える人だけが我慢すればよろし。私は離脱する。