無望

仕事、人間関係、お金、それから最後まで握りしめていたIさんへの執着を捨てて半月が過ぎた。そうして私にはレイキ講師との新しい出会いがあった。講座は終始和やかムードで、当たり前のようにスピリチュアルな会話ができる空間は本当に楽しかったです。『現実が嘘で妄想が現実』生身の人間からこの言葉を聞いた時は、流石に「あ、リアルで言っちゃうんだ」と驚きましたけど。

人参を得てしまったら、馬にとってはなぜか絶望(=希望が叶う)するからだ。自作自演の願望実現ゲームだよ。

そんなのやめてとっとと叶えたいって?

なら、人生に意味や希望、大切な何かを見出すのをもうやめにすればいい。(詭弁氏)

一部だけを抜粋したら「なにがなんだか」だと思いますが、今日のお昼休みに煙草を吸いながら「今、わたしには大切なものも、叶えたい何かも、なんにもないな」とぼんやり考えていました。でもかつてのわたしも同じことを考えていたはずで、それは夢も希望もない=人生に絶望し、惰性で生きているネガティブの塊のような人間だった。

だけど今ははっきりと「自分は幸せだ」と言える。手に入るか入らないかわからない何かに感情を揺さぶられ、翻弄する現実が生み出すものは往々にして「よくない」事の方が多い。時には誰かを傷つけ、もちろん自分自身をも傷つける。そこまでして握りしめているものを手にした先は、本当に「幸せ」だと決まっているのだろうか。

何も望まないことが幸せ。

この気持ちを言葉で説明するのは難しすぎる。胸がいっぱいで泣きそうだ。