妥協

迷える子羊に向かい、『いま幸せであれ』と潜在意識の達人たちは言う。

”なった私”とか”既にある”は結局、『いま幸せになる』に至るまでのメソッドであり、『いま幸せ』になれたなら、”なった私”にならなくてもいいし、ないものはない!でいいのだ。

ところで『幸せ』ってなんでしょう。

毎分毎秒『幸せ』な気持ちでいたら、慣れたり飽きたりしてしまうものなのでしょうか。

私は違うと思います。なぜなら『幸せ』はただの状態だからです。

『幸せ』の正体を見破れば、なにかを特別扱いできなくなる。

 

詭弁氏の言葉を引用させてもらうと。

あなた方は、それほどにその願望を、重要で、大切で、必要で、今は当たり前じゃないから、当たり前にしたいし、今すぐ欲しくて欲しくてたまらないものだと思ってるだろ。

そう思うなら、それは現実でそう振る舞うんだよ。

あなた方がそういう思いを強く抱けば抱くほど、より強くそれは現実でそう振る舞う。

あなた方がその思いを維持できるようにね。もう嫌だ!たくさんだ!という思いをね。

強烈な幸せを欲するなら、なにかを特別扱いしないことには始まらんので当たり前なんですけど。んで、特別に扱い続けたければ、相対的に他のものを下げるしかなくてだね。

皮肉なことに不幸の量が多ければ多いほど、それは輝くんですよ。だって「特別に感じていたい」が望みなんだから、これもまた至極当然でして。幸せを感じたいがために不幸でいる、そんな感じ。

ハヤシじゃ絶対満足してやらねー!カレーじゃなきゃ絶対幸せになってやるもんか!ってのはね、変な言い方だが、幸せに対する妥協なんだよ。

そう。「あれがないと幸せになれない」というのは貪欲なんかじゃない。実はむしろ、無欲に近かったっていう。

(┐「ε:)ズコー