完敗

ほんの少し前、医師の労働環境についての記事を読んだ。それには自身を勤務医と名乗る方が「開業医は経費使い放題でずるい。不公平だ。」要約するとこんなコメントを残しており、多くの共感を得ていた。軽いショックを受けました。なんというか、ただただ残念だった。

サラリーマンと経営者は違う。そりゃあ自分たちは安い賃金でこき使われて、経営者が経費を私的に流用してると知れば不満は出て当たり前なのだけど、それでも不公平という言い方は謎だ。そもそも同じ立場ではないのに公平などあり得ないだろう。何の旨味もなく、リスクだけを背負い、他人に尽くすトップが現代の理想像なのか。

多分そうなんだろうな。志が高く、クリーンで人格者。そんな人間を求める一方で、自分たちは誰かを叩いて憂さ晴らしをする。私は家族のことを頭のおかしい人だと思っていたけど、今、家族と同じことを平気で言える人達が「普通」だと認識されつつあり、戸惑っています。私の考えてた普通ってなんだったんだろう。

私はある種の人達から「人の気持ちがわからない人」と言われ続けてきたので、自分なりに努力はしてみたつもりですが、やっぱりわからないものはわからないし、それはもう私の役目じゃないだろうとも思っている。世の中にはこんなにも賛同者がいるのだから、私の理解なんぞあってもなくても変わらないはずだもの。何かの病気だと思って諦めてください。

 

レイキのアチューンメントを受けたあと21日間は浄化期間となり、通常はこの間に好転反応が起こるようなのですが、私の場合は浄化期間が終わった直後にそれらしきものがやってきた。私が恐れていた変化とは。

私は自称不幸な人が怖い。彼等は(私の)常識では考えられない斜め上の発想をするからだ。例えば3か月で辞めた会社に在籍中、自分の車で事故をした時の話。事故とはいっても、ほんの少しの接触で過失割合の差は少なく円満解決。労災保険も使わなかったので怒鳴られる筋合いなんてないんですけど、まぁそれはそれは上司に怒られましてね。

そこは不幸な人だけが居られる会社で、皆が様々な事情を抱えていた。過去に社員が事故を起こしたが、金銭的な理由から損害保険に入っていなかったらしく、揉めに揉めて大変だったと言うのです。「あなたは保険に入ってたから良かったけど、入ってなかったらとんでもないことになるんだよ!保険に入れない人だっているんだよ!」みたいな。それと私の事故と何の関係があるのか、私は入ってたんだからいいではないか。

ちなみに私は食費を削ってでも損保には入ると思う。車を運転する以上、半ば義務のように思っているからだ。自分に非がありながら「金がないから修理代払えません」などと言えるほどメンタル強くない。『とんでもないこと』になるのを避けるために、高いお金を払っているのです。この件に関しては私の方が真面な人間だと自負している。

それでも顔を真っ赤にし、目に涙を溜めて理不尽にキレられたのだ。私みたいに何も持っていなくても、低レベル同士でも、こうした諍いは起こるのです。その涙は何の涙だ?

「〇〇がない気持ちも考えろ」「もっと〇〇な人は沢山いる」というコメントを見るたびにみぞおちが疼く。それがお金ならば。何かに備える財力があれば、誰かに負担を掛けなくて済むかも知れないじゃないか。彼らの言う「迷惑」とはただ感情を刺激されて被害者になっているだけ。現実的に迷惑を掛けているのはどっちだろう。やっぱり斜め上の人とは相容れないわ。

あの4日間で彼らに対する怖さが消えた。「自分の方が不幸」だと主張する無意識の怖さを軽く見すぎだ。その主張に何の意味があるのかは知りたくもないけど、誰かより不幸でなければ勝てないゲームに挑んでいるのは自分だということをわかっているのか。我こそがWINNERだと右手を振り上げるために、全力で不幸を掴みにいってるってことですけど。

どーぞどーぞ私は敗者でいいです。完敗だ。