息苦しい

潜在意識の世界だと、この世で起きたことは100%自分に原因がある、という説がある。なら毒親の元に生まれたのも自分の責任なのか?と、私は納得できない時期の方が長かった。今は従うor従わない・捨てるor捨てないの選択をしたのは自分だから、自分の責任なんだよねって思ってる。

捨てる捨てないは極端な話で、別に捨てなくたっていい。捨てることで苦しくなるなら、別の道を探せばいいのだし。はっきり言えるのは、毒親問題に限らず、自分にとって100%納得のいく答えを他人が導いてくれるわけではないということ。誰かの言葉に救われるのはいいことだけど、それが正しいかどうかまではわからない。ましてや「そう考えなければいけない」と自分を追い込むのは本末転倒すぎるわな。

人間はほぼほぼ自分を基準に生きている。「100%自分に原因がある」と私の中で確固たる常識ができてしまった今、他人に対してもそう思ってしまうのは仕方がないのだろう。だから大抵のことは「あなたに原因がある」で終わってしまうのだ。ただし「あなたが悪い」とはいってない。ここが一番混乱するポイントだと思うけど、決して責めてるわけじゃないのよね。

とはいえリアルでこんなことを口に出したりはしません。相談にものるしアドバイスをする時だってある。だけどやっぱり私の中では「あなたに何らかの原因がある」で締めくくられて、一旦頭の中から消去されます。他人のことを頭や心に残さないって、精神衛生上とても良い。そういう意味でも「100%自分に原因」説は理に適ってると実感する。

 

私がなぜ「世間」という現実世界から去りたいと思ったかというと「息苦しいから」です。「正しさ」を押し付ける人達が息苦しい。この世には「正しさ」に対し異常に拘る種類の人がいて、物凄い勢いで増殖してるのだろうなと感じている。その「正しさ」が他人を苦しめ、果ては自分の首を締めていることに気付いてないことを馬鹿だとも思っている。

どの部類かは書きませんが、いま苦境に立っている人の中にはそうした人も多い。何事にもほどほどの落としどころっつーもんがあって、自己肯定感を高めることと自分の価値を実体以上に吊り上げることは全然別物なのだよ。その結果、数少ないパイを奪い合うことになるのです。無理が通れば道理が引っ込む。当然の結果だからしょうがないですね。

私がいる現実は許し合い、与え合う世界へ進化しています。こうして二極化は進むのかな。