識別

昨日のやらかしで、朝イチから社内は爆笑の渦に包まれることとなりました。良かった良かった。「バグってますね笑」とか言うな。私は和やかムードを作るためにネタを提供してるんだよ。(嘘です)

 

 「私は最近、過去と比べて成長したとか、そういうことに何の意味があるのかと考えてしまう。過去を前提としてる限り、それに囚われ続けるだけじゃないのかと」

昨日は日記を書いたあと早々に寝てしまい、夜中に目が覚めて色々考えていた。私は幼少期のトラウマが元になり、これまで戦い続けてきたわけですが。しかし私は今、幼少期の事を思い出して嫌な気持ちになることはとても少ない。なのでトラウマそのものよりも戦い続けてきた年月に依存してるんじゃないかと思うのです。

依存という言葉は適切でないかもしれないけれど、戦いは私の人生そのものだったので、それを完全に手放すことを恐れているんじゃないかと考えたりする。つまり、戦える場所が私のコンフォートゾーンだったということですね。(コンフォートゾーンとは『快適な空間』を意味しています)

慣れ親しんだ、居心地の良い場所から抜けようとする時、人は不安やストレスを感じる。「もう戦わなくていいんだ」と安堵する反面、支えを失ってしまった私は「これからどこへ行くのか」を模索しなければならない。もしも戦える場所と反対方向へ向かうとすれば、どのみち過去はあまり意味を持たないので捨てるしかないんだけども。

 

今日、少しの行き違いで疎遠になってしまった女友達から数年ぶりに連絡がありまして。その時、本当は誤解を解きたかった。でも彼女を板挟みにしてしまうから言えなかった。「自分さえ我慢すれば」「自分が悪者になって丸く収まるのなら」…それは誠実って言えるんですか?本当に誰かのためだったんですかね?

私はもう嘘をつきたくない。

私達はすんなり和解しました。私は今の彼女と向き合っている。彼女も今の私と向き合っている。それでいいんだよな。

 

『変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ』